DeNA・三浦大輔 怪物・松井秀喜との対決の日々

[ 2016年10月1日 09:00 ]

2001年8月4日、横浜―巨人戦の5回 横浜・三浦が巨人・松井を三振切って取る

 【宮入徹の記録の風景】DeNAの三浦大輔投手が25年間の現役生活に別れを告げた。91年ドラフト6位で奈良の高田商から大洋に入団。横浜、DeNAと球団名は変わったものの、生え抜きのままユニホームを脱いだ。

 通算172勝は球団では平松政次201勝、秋山登193勝に次いで歴代単独3位。秋山氏は04年に野球殿堂入り。平松氏は、今年の野球殿堂エキスパート表彰で選には漏れたが、殿堂入りした榎本喜八氏に次ぐ票数を獲得した。今後、同氏は選考される可能性が高く、いわば三浦はチームのレジェンドと遜色のない成績を残したことになる。

 ドラフト制以降に入団して通算170勝以上を記録した投手はプロ野球で16人。指名順では1位が8人で最多。2位2人、3位1人、5位3人と続き、6位は現ソフトバンク監督の工藤公康(西武など=224勝)と並び最も低い順位だ。

 三浦は虎キラーと呼ばれ阪神戦は通算46勝31敗。08年オフにフリーエージェント宣言をしながら、チームに残留したが、阪神との交渉の場についている。阪神サイドとしても難敵を味方にすることで、チーム力をアップさせようと意図したことが伺える。

 半面、巨人戦は苦手で通算13勝39敗と大きく負け越した。ただ、年齢で1つ下の松井秀喜とは激しくしのぎを削った。通算成績は88打数27安打、5本塁打、20打点。被打率は・248と低く、巨人での松井の通算打率・304を考えれば、三浦に軍配を上げていいだろう。

 対松井最後の被弾は98年7月14日、横浜スタジアムで5回に浴びた満塁本塁打。以後、02年に松井が巨人を去るまで4シーズン、67打席にわたりアーチなしに抑え込んだ。松井と対戦して67打席以上も本塁打されなかったのは他に阪神の藪恵壹が78打席続けたのがあるだけだ。

 松井がプロに入って初めてシーズン40本塁打をマークしたのは7年目となった99年の42本(リーグ2位)。以後、00年42本(本塁打王)、02年50本(本塁打王)と充実期に入っていくが、その松井に対し三浦の被弾はゼロ。ハマの番長の負けん気が伝わってくる。(専門委員)

 ◆宮入 徹(みやいり・とおる)1958年、東京都生まれ。同志社大卒。スポニチ入社以来、プロ野球記録担当一筋。94年から15年まで記録課長。本社制定の最優秀バッテリー賞の選考委員会には、1回目の91年から25回連続で資料説明役として出席。

続きを表示

2016年10月1日のニュース