「勝ちたかった…」亡きオーナーの悲願ついに、DeNA初のCS進出

[ 2016年9月26日 10:40 ]

2010年、横浜の出陣式で報道陣に囲まれる若林貴世志オーナー

 オーナー、喜んでいますか――。9月19日、DeNAが球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。今年3月31日に亡くなった前身の横浜時代のオーナー、若林貴世志氏のことを思い出した。73歳だった。

 「どうにかしたいんだ、横浜ベイスターズを。君、何とか強くする方法はないかね?」。そう尋ねられたことが何度かあった。TBSの副社長だった2004年にオーナー就任。11年にDeNAが球団を買収した際に退くまで務めた。横浜は98年の優勝以降、低迷が続き、監督が代わることも多かった。ほぼ、2年に1回の周期である。都内にある若林オーナーの自宅に何度も通った。

 もちろん、「新監督は誰か」という取材だ。新監督の理想像を聞いてヒントをもらったり、取材でつかんだ新監督を単刀直入に聞いたこともあった。10年以降は球団の身売り問題も重なり、取材する回数は増した。口ひげを生やし、白髪のウエーブヘア。「紳士」という言葉がとても似合っていた。温厚な人柄で、早朝の自宅取材にも嫌な顔ひとつしなかった。自宅前の道幅が狭いため、迎えの車は自宅から約30メートル先で待機。一緒に歩きながら、話を聞いた。

 「君は誰が監督になればいいと思うんだ?」。こちらの質問をかわすためだったが、逆にそう聞かれて以前の監督を呼び戻すように薦めたこともあった。09年のオフだった。巨人のリーグ3連覇に大きく貢献した尾花高夫投手総合コーチを監督として招へいした時は、巨人に自ら頭を下げた。同一リーグからの引き抜き。横浜を強くしたい決意の表れだった。そして投手陣の再建を託した。しかし、指揮を執った10、11年は2年連続で最下位に終わり、球団としては4年連続の最下位。「暗黒時代」から抜け出すことはできず、迎えた11年オフだった。CS進出の願いは果たせないまま、親会社のTBSホールディングス(HD)がDeNAに球団を譲渡した。親会社の選択。オーナー職を退いた若林氏は寂しげだった。「勝ちたかったな…」と漏らした。

 07年のCS創設から、ちょうど10年目。DeNAが願いをかなえてくれた。若林氏が足繁く通った横浜スタジアムで決めてくれた。(記者コラム・飯塚 荒太)

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2016年9月26日のニュース