【内田雅也の追球】阪神 中村GMの一周忌に捧ぐ快勝

[ 2016年9月23日 08:15 ]

1974年5月22日、中村勝広が堀内から決勝の逆転満塁弾を放つ

セ・リーグ 阪神4―1広島

(9月22日 マツダ)
 季節は巡り、秋分の日を迎えた。思えば、昨年のきょう、23日も秋分の日だったのだと、今になって気づいた。

 阪神ゼネラルマネジャー(GM)だった中村勝広が永眠した日である。遠征先・東京のホテルで脳内出血による急死、66歳だった。

 「まだ1年ですから……」と夫人は今も深い哀しみの中にいた。母を思いやる長女によると「1年目ですから、父がいなくなって初めて訪れる、その季節季節で、思い出しますから」。

 自宅が面する通りは「桜道」と名がついている。満開の桜や色づく紅葉に、思い出がよみがえる。あの時は桜が……紅葉が……涙がこぼれた。

 一周忌を前に、阪神は広島に快勝してみせた。それも、北條史也、上本博紀がこれまで全敗の難敵クリス・ジョンソンから、高山俊もジャクソンから本塁打を放った。一発攻勢は、天国の中村が最も喜ぶだろう勝ちっぷりだった。

 中村はよく「ホームランだよ。ホームランは野球の華なんだ」と話していた。自身は現役時代、好打好守の二塁手で主に1、2番を打った。実働11年で本塁打は76本に過ぎない。それでも阪神監督に就き、描いたのは一発長打で叩きのめす野球だった。監督は、自身にはなかった野球を求めるものなのだろう。

 GMになると、親交が厚く、同郷千葉の後輩でもある掛布雅之(現2軍監督)をGM付育成&打撃コーディネーター(DC)に招いた。「おまえのような打者を育てたいんだ」と和製大砲育成を期待していた。

 現役当時の話、特に自身の活躍は口にしなかった中村だが、飲めば懐かしそうに話した。巨人のエース堀内恒夫に強かった。「インコースが好きでね」と時折、左翼席に放り込んだ。74年5月22日の甲子園では逆転決勝満塁弾、76年8月1日の甲子園では本塁打を含む4安打を放っている。

 この日、中村のように1、2番を打った北條と上本が、中村が好きだった内角球を左翼に放り込んだ。中村が育成を託した掛布のような左打者の3番・高山が、掛布のように引っ張った。

 昨年11月19日、甲子園球場でのお別れの会で吉田義男は「あなたの魂は永遠」と弔辞を読んだ。そう、阪神再建に命を削った心は息づいている。

 道半ばで逝った中村の遺志を継ぐ、そして中村に捧ぐ快勝だと心に留め置きたい。 =敬称略= (スポニチ本紙編集委員)

続きを表示

2016年9月23日のニュース