PL学園の野球部OBから聞いた「最もPLらしい選手」は…

[ 2016年9月22日 08:10 ]

 【君島圭介のスポーツと人間】黒いダシ汁が静岡おでんの特徴だ。十分煮込まれた大根をのせた皿が置かれた。「好きな薬味を選んでよ」と、マスターの阿部剛士が目で促した先にダシ粉と青のりがあった。からしと合わせて味わうのが静岡流だ。

 静岡で野球を始めた阿部には甲子園常連校を含め二十数校の誘いがあった。日本一野球のうまい中学生と思っていた。肩で風を切って入学したのはPL学園だった。一学年上に吉村禎章(巨人)、若井基安(南海、ダイエー)、同期にソフトバンクのチーフスコアラー兼分析担当の森浩之(南海、ダイエー)がいた。

 「鼻っ柱をへし折られたよ」。阿部の話を聞きながらおでんをつまむ。牛すじから取ったダシが酒に合う。PL学園の野球部には各地の「日本一」が集まる。「入学して一番驚いたのは練習時間の短さだね」。朝練はない。全体練習は午後3時から長くて午後7時まで。中村順司が監督に就任し、実戦を想定した技術練習が中心だった。紅白戦もいきなり始まる。

 「プロと同じ。そこで結果を出さないとユニホームがもらえない」。自主練習を積んで準備するしかない。「時間があればバットを振ったよ。寮の消灯が午後10時だからそれまで、ね」。追いつくために陰で努力する。だがレギュラー組はそれ以上の努力を重ねる。

 阿部は高3春の大阪府、近畿両大会と夏の府大会で背番号15を付けたが、甲子園の土だけは踏めなかった。「俺の代は(82年の)センバツで全国制覇したけど、やっぱり(自分が)甲子園に出られなかったことは悔しいね」。静岡時代の野球仲間の何人かは地元の高校で甲子園に出場した。

 客は常連客が多い。L字のカウンターはすぐに満席になる。「清原和博が活躍して『PLの4番』のイメージが強いけど、本当は4番のいないチームなんだ」。PL学園の野球は「走者二塁」をつくること。どの打順から始まっても先頭打者は出塁を最優先に考え、次打者はバントで送る。「走者二塁」の状況から得点する練習を繰り返した。守備はその逆。走者二塁の状況をつくらない。二塁走者を還さない。「PLの野球はミスのない野球なんだ」と阿部はいう。

 1番でも4番でも9番でも求められるものは同じ。「その意味で今の現役で一番PLらしい選手といえば…」。阿部が新しいとっくりを差し出しながら続けた。「今江、だな」。楽天の今江敏晃こそがPL学園の野手のイメージ。冷酒を舌で味わいながら想像する。4番に座った今江が犠打を成功させて喜ぶ姿が鮮明に浮かんだ。

 夜も更け、客は一人。PL学園でなければ甲子園の土を踏めた。後悔はないのか。阿部は翌日の仕込みをしながら首を振った。「野球をやってきて後悔しているのは野球をやめたことだけだ」。今年の夏の甲子園もほぼ全試合テレビ観戦したという。PL学園のユニホームが大阪府大会からも消えた来年の春も全試合見るだろう。喉を通った酒が少しほろ苦かった。(専門委員、敬称略)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

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2016年9月22日のニュース