自尊心にとっては最高の媚薬…広島・新井の泣かせる義務感

[ 2016年9月19日 09:15 ]

 【鈴木誠治の我田引用】プロ野球の広島が、25年ぶりにセ・リーグを制した。優勝翌日、9月11日のスポニチに泣かせる原稿があった。

 4番の新井貴浩内野手(39)は2008年、FAで広島を飛び出し、阪神に移籍した。しかし、阪神でレギュラーの座を失い、昨季、8年ぶりに広島に戻った。その苦悩と恩返しの思いがつづられた。

 彼を支えたのは、批判覚悟で戻った古巣での復帰後最初の打席だったという。罵声を覚悟した客席が、大声援に包まれた。この日から、39歳のベテランは「(ファンに)喜んでもらうことでしか恩返しはできない」と思い、優勝を果たして「誰かのため、何かのためを思ったときに、こんなにも力が出るんだ…と思い知った」と涙を流した。

 「いい話だね」

 女勝負師のスゥちゃんに音読してあげると、感想はひと言だった。

 「誰かのために、は、大きな力になるからね」

 どうも、そっけない。もう一度、「いい話じゃない?」と聞くと、意外な答えが返ってきた。

 「その新井って人、自分のためにやってたんだと思うよ」

 義務感は、自尊心にとっては最高の媚薬

 芥川賞作家の平野啓一郎氏の小説「葬送」の中に出てくる言葉だ。平野氏は「私とは何か」の中でも、こう書いている。

 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。(中略)つまり、他者を経由した自己肯定の状態である。

 スゥちゃんは言う。

 「野球を続けたのも、広島に戻ったのも、自分のため。広島のファンに喜んでほしかったのも、それによってファンを裏切った自分を許してほしかったのも、自分だよ」

 確かに。新井選手は、広島ファンから大バッシングを浴びて阪神に移籍した。その阪神を自由契約になった時、広島が声を掛けてくれた。「絶対に(広島に)帰ってはいけない」。自問自答した苦悩は深かったという。

 「でも、よくスポーツ選手が言う感謝とか、恩返しよりも、言葉が重い気がするんだよなあ」

 わたしは、引っかかりを覚えた。

 新井選手は阪神に移籍直後、広島での試合で罵声を浴びた。裏切り者と呼んだファンの前に再び立つ。結果を出せなければ、裏切り者のまま消えていくしかない。支えてくれた人に感謝するのは当たり前でも、支えてくれないかもしれない人にも恩返しをしたいと思う覚悟は、やはり厳しい決断だと思うのだ。

 すると、スゥちゃんは付け加えた。

 「自分のために戦うなら、勝っても負けても、自分が責任をとればいい。でも、誰かのために戦うのなら、勝たなければ意味がない。誰かのために勝つ、なんて、軽々しく言う言葉じゃないわ」

 自尊心のために、新井選手は義務を背負った。故郷でもある広島への愛が、自分を変えてくれると思ったかもしれない。ただ、結果を出さなければ、誰も満たされない。優勝する時まで、「誰かのため」の思いを秘めていたのは、簡単なことではないと分かっていたからではないだろうか。

 新井選手の記事についたスポニチ(東京版)の見出しは、こうだった。

 「今なら言える ただいま ありがとう」

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

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