阪神移籍で一度は諦めた夢…新井「黒田さんが号泣されている姿を見て僕も」

[ 2016年9月11日 05:45 ]

<巨・広>涙を流して黒田(中央左)と抱き合う新井(同右)をナインが笑顔で取り囲む

セ・リーグ 広島6―4巨人

(9月10日 東京D)
 広島・新井はもみ合う輪の中で黒田を見つけた。引き合うように近づき、抱き合った。

 「夢のようで言葉にならない。苦しかったこと、悔しかったことが頭の中を駆け巡って…。黒田さんが号泣されている姿を見て、僕も号泣してしまいました」。顔はくしゃくしゃ。緒方監督、黒田に続いて胴上げされた。「僕はいいって言ったんだけど…」。5度舞いながら、また泣いた。

 首位快走が始まった夏以降、毎晩のように優勝の瞬間を思いながら眠り、流れる涙に気付いて目が覚めた。そのたびに祈った。「お願いします。野球の神様がいるのなら…」。一度は見てはいけないと諦めた夢だった。

 阪神でレギュラーを失った14年秋。燃え尽きない思いを抱え、自由契約の道を選んだ。真っ先に広島が声を掛けてくれた。「帰れない。絶対に帰ってはいけない」。繰り返した自問自答の末に最後は「もう一度やりたい」という心に従った。

 批判は覚悟しても怖かった。阪神移籍後最初の広島遠征でば声を浴びたからだ。昨年3月27日のヤクルトとの開幕戦。7回に代打で向かった復帰後初打席で本拠地の大声援を聞いた。「どうして、こんなに応援してくれるんだろう…」。にじむ視界で懸命に打った右飛。記録上は凡打でしかない打席が宝物になった。

 「喜んでもらうことでしか恩返しはできないと思った」。完全燃焼の決意に私心はもうなかった。39歳。体が動かない時には、あの打席を思い出し、歯を食いしばった。勝負の夏。7月は打率・443で引っ張り、最大の分岐点だった8月7日の巨人戦ではサヨナラ打で猛追を押し返した。

 「誰かのため、何かのためを思ったときに、こんなにも力が出るんだ…と思い知った。もし広島に戻ってなかったら、もう辞めていたと思う」

 2年前の秋、迷う背中を押してくれた一人が黒田だった。決断を伝えた時に「次は黒田さんの番ですよ」と願望を添えた。それが本当にかなった。20代の頃に「優勝できたら…」と語り合った。当時は淡い夢だった。「おまえは野手を引っ張れ。俺は投手を引っ張っていく。一体感のあるチームにしよう」と言われた。7年間離れても交わした約束は忘れなかった。

 4番で臨んだ集大成の一戦。一塁手として最後につかんだ記念球は緒方監督に手渡した。最後は赤く染まった左翼席へ走った。「本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました」。やっと、お礼ができた。 (友成 貴博)

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