記憶を紡ぐ野球場 阪神名物オーナーが遺した言葉

[ 2016年9月10日 09:37 ]

03年10月28日、阪神新監督就任会見で星野前監督(右)と握手を交わす岡田新監督(中央は久万俊二郎オーナー)

 【内田雅也の広角追球】9月9日は阪神の名物オーナーと呼ばれた久万俊二郎さんの命日だった。2011年、老衰のため、90歳で逝った。

 数多い印象的な言葉の一つに「記憶の積み重ねが野球ファン」がある。

 「野球場にはいろんな人びとがやってくる。二枚目の選手を追いかける若い女性、父親の背に負われた子ども、ビールを飲んで叫ぶサラリーマン……。そうした人たちが次にまた球場に来てくれるのは何か気持ちのいい体験をしたからですよ。だから球団経営は勝つだけではない。つまり、記憶の積み重ねがファンである、と言えます」

 「野球にはコーラ」と自宅のテレビで野球中継を観る際はコカ・コーラを飲んだ。冷蔵庫に何本も冷やしていた。「初めて飲んだのが甲子園でしてね。世の中にこんなうまい飲み物があるのかと思いましたよ」。1949年(昭和24年)10月、米3Aサンフランシスコ・シールズ来日の際、舶来品排除が解かれ、球場内に限りコカ・コーラが売られた。当時28歳、阪神電鉄文書課にいた久万さんにとっての野球の味となった。これも記憶である。

 久万さんは「野球は素人」と言いながら、野球の本質的な魅力を分かっていたのだと思う。

 9月6~8日の巨人戦は阪神の3連敗に終わった。甲子園球場には空席が目立ち、6、7日は満員御礼(3万7000人以上)の大入り袋が出なかったが、それでも3日間で11万1137人が集まった。人びとは阪神の勝利以外に楽しみを見つけていたかもしれない。

 記憶は野球の重要な要素だ。コラムニスト、ジョージ・F・ウィル氏は『野球術』(文春文庫)結論の章に書いた。<野球を楽しむには他のどのスポーツよりも見識が要求される。野球を見る楽しみは見る側の歴史感覚によって左右される。鍛えられた目には野球の美しさが見える>。歴史感覚とはつまり記憶だ。

 久万さんのコーラのように、記憶は何でも構わない。少年時代を西宮で過ごした作家・村上春樹氏は甲子園球場の夕日だった。<子供のころ、野球場の外野席の上のほうに座って、夏の日が暮れなずんでゆく様を眺めるのが好きだった>と書いた=『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)。

 さらに、久万さんの言う「父に背負われた子」「積み重ね」がある。

 映画『フィールド・オブ・ドリームス』で主人公の中年男性は幼い娘に語りかける。1919年のブラックソックス事件で永久追放となった“シューレス”ジョー・ジャクソンがいかにすごい選手だったか。八百長などしていなかったと成績を示し伝える。

 劇画『巨人の星』で、父・星一徹は息子・飛雄馬に海草中(現向陽高)エースで夏の甲子園大会で全5試合を完封した嶋清一や、シーズン19連勝を記録した巨人・松田清の逸話を伝える。

 アメリカ文学の必読書とも言われるロジャー・カーン氏の『夏の若者たち』(佐山和夫氏訳=ベースボールマガジン社)の冒頭に、日本の読者向けの一文がある。同書のテーマを<父と子。これです>と記していた。

 「野球は父子相伝の文化」とカーン氏は言う。親から子へ語り継がれ、伝説は広がり、深まっていく。この記憶の伝承こそが野球の魅力なのだろう。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや)1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社以来、野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年目。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

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