中日・谷繁監督 休養も事実上の解任 来季は小笠原2軍監督有力

[ 2016年8月10日 05:30 ]

休養が決まり会見する谷繁監督(左)は佐々木球団社長の横で渋い表情

 セ・リーグ最下位に低迷する中日は9日、成績不振を理由に谷繁元信監督(45)の休養を発表した。谷繁監督はナゴヤドームで会見し、シーズン途中で休養する無念さを語った。監督3年目で専任になった今季、7月中に自力優勝の可能性が消滅するなど低迷。同日のヤクルト戦(同)から森繁和ヘッドコーチ(61)が監督代行として指揮を執った。そのまま退任するとみられ、来季監督は小笠原道大2軍監督(42)の昇格が有力視されている。

 スーツ姿で記者会見に臨んだ谷繁監督は、淡々とした口調に無念さをにじませた。4年契約の3年目、まだクライマックスシリーズ(CS)進出の可能性がある中での非情な通告。「結果が全てのプロの世界。仕方がない。全て監督である私の責任」と気丈に思いを語った。

 寝耳に水の休養通告だった。球団によると、佐々木崇夫球団社長と西山和夫球団代表が話し合いを重ねて決断。9日朝に白井文吾オーナーに報告し、その後に谷繁監督に意向が伝えられた。球団は低迷によるファンからの厳しい批判を理由として挙げた。佐々木社長は「チームは苦戦を強いられている。けじめをつけてもらうべく休養をお願いした」と説明。事実上の解任だった。

 谷繁監督は14年シーズンから選手兼任監督として指揮。14年が4位、15年は球団45年ぶりの3年連続Bクラスとなる5位と低迷した。今季は監督3年目で初めて専任となった。球団は創設80周年で、白井オーナーからは優勝を厳命された背水の年だったが、7月12日のDeNA戦(横浜)に敗れて自力優勝の可能性が消滅した。

 就任当初に掲げた「守り勝つ野球」を確立できなかった。昨季自身を含め山本昌、和田らベテランが引退し、若返りを図った。粘り強く指導してきたが結果が残らず「継続していくことが一番力がつくと進めていたが、どこかで止まってしまうことがあった。選手たちにうまく伝わっていなかった」と振り返った。

 会見では編成面での問題が指摘され、落合博満ゼネラルマネジャーの責任を問う質問も相次いだが、佐々木社長は「GMには一切、連絡していない。(編成を)GMに全てを任せているわけではない」と応答した。

 後任について佐々木社長はまだ「白紙」としたが、昨季限りで現役を引退して、2軍監督に就任した小笠原道大2軍監督(42)の就任が有力視される。

 ◆谷繁 元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれの45歳。島根・江の川(現石見智翠館)では3年夏に8強入りし、88年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年に日本一に貢献。02年に中日にFA移籍し、4度のリーグ優勝と07年の日本一の立役者となった。14年に兼任監督となり、15年限りで現役引退。今季から専任監督。現役通算成績は3021試合で打率・240、229本塁打、1040打点。1メートル76、81キロ。右投げ右打ち。

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