イチロー 歴史家も魅了 パワー全盛時代に“魔法のつえ”で安打量産

[ 2016年8月9日 09:20 ]

MLB公認野球歴史家のジョン・ソーン氏

ナ・リーグ マーリンズ10―7ロッキーズ

(8月7日 デンバー)
 メジャーでは3000安打以上を達成した選手を「3000 CLUB」と呼ぶ。イチローが加わり、約140年の歴史で30人しかいない超エリートメンバー。しかし、その30人はひとくくりでは語れない。それぞれの時代背景の中で生まれた記録だからだ。MLB史上2人目の公認歴史家、ジョン・ソーン氏(69)に3000安打の歴史と、イチローの歴史的意義について聞いた。

 日米の野球ファンともに3000安打に熱狂しているが、実は歴史的に見れば比較的新しい現象である。かつては3000の数字に今のような魔力はなかった。1934年、サム・ライスは通算2987安打で引退したが、今ならあと13本でやめることはあり得ない。その時代背景を把握し、それを踏まえてイチローの記録を見れば、さらに興味が増すだろう。

 タイ・カッブ、トリス・スピーカー…。20世紀初めに達成者が多いのは、当時は給料が良くなかったから。その頃はテレビ解説の仕事もないし、野球しか稼ぐ手段はなかった。晩年になって力が落ちても、カッブやスピーカーは監督兼任になって、自分が出たいときに試合に出続けた。

 戦争が影響した時代もあった。通算2214安打のジョー・ディマジオと通算2654安打のテッド・ウィリアムズは第2次世界大戦で選手として一番良い時期に3年も兵役にとられ、ウィリアムズは朝鮮戦争にも行った。戦争がなければ3000安打を達成していただろう。一方で、ポール・ウェイナーはそのおかげで3000に届いた。若い選手が戦争にとられたため、既に30代後半になっていた彼は、力が落ちてもキャリアを42歳まで伸ばせた。

 第2次世界大戦の後は、MLBは著しくレベルアップした。1947年、ジャッキー・ロビンソンは黒人選手の扉を開いただけでなく、キューバ、ドミニカ共和国など、ヒスパニック系の有色人種の選手にも道を開いた。しかしながら、そのロビンソンはメジャーデビューが28歳と遅かったために、1518安打止まり。それは、パイオニアの宿命ともいえる。そんな中で、27歳の年齢でメジャーに来たイチローが3000安打を達成したのは、本当に凄いことだ。

 野球のレベルが上がったのは投手の起用法も大きく関係している。50年代になると、投手の分業制が進み、完投は急激に減った。カッブやベーブ・ルースの時代は、投手はほぼ完投で、4打席目、5打席目の対戦は、目が慣れ、球威も落ちて打ちやすかったはず。さらに50年代と今を比較しても、投手のレベルは大きく違う。当時は速くてもせいぜい92~93マイル(約148~150キロ)。それが今では95マイル(約153キロ)を超す投手はざら。ピート・ローズが何を言おうと、イチローの時代がレベルが最も高い。

 私がイチローに魅了されるのは、みんなが本塁打を狙うパワー全盛の時代に、魔法のつえを振るような独特のスイングで、10年連続200安打という前人未到の偉業を達成したこと。プラス、守備でも、走塁でも超一流だ。私は初めに、20世紀初頭は記録に魔力がなかったと言ったが、今は、反対にそれが野球の魅力になっている。イチローが安打記録を打ち立てていく過程で、ジョージ・シスラーやカッブの名前をよみがえらせた。違う世代の野球ファンが、自分たちの時代のヒーローを熱く語り合う。ローズとの日米通算論争も野球ならではのものだ。

 もっとも今季のイチローを見ていると、3000安打のためにプレーしているように見えない。野球選手として再び価値が上がっているし、これからもプレーを続けるのだろう。どんなキャリアになるか、歴史家としてとても楽しみだ。 (MLB公認野球歴史家)

 ◆ジョン・ソーン ドイツ・シュツットガルト生まれの69歳。1歳の時に米ニューヨークに移住。野球の歴史を研究し、数多くの著書がある。野球百科事典「トータルベースボール」の編者。著者のピート・パルマ氏とともにタイ・カッブの通算安打数の間違いに気付き、4189安打と指摘。ただし、MLBは4191安打としている。

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