「父より長く…」鮮烈デビューを飾った近藤弘基の目標

[ 2016年8月6日 09:00 ]

<中・巨>プロ初安打を放ち父の真市コーチ(右)とグータッチをする近藤

 親子鷹で注目を集めた中日・近藤弘基外野手が2年目で支配下選手になった。7月14日に支配下登録され、背番号は父である真市投手コーチの「76」を逆にした「67」に。「少し思いました。何かしら父の番号には縁があるんですよね」とはにかんだ。

 初昇格した2日巨人戦(ナゴヤドーム)では「2番・左翼」で即先発。プロ初登板だった87年8月9日巨人戦でノーヒットノーランを達成した父に負けじとプロ初安打、初打点を含む3安打を放った。育成出身の選手では昨季に4安打した亀沢以来、史上2人目の猛打賞デビューだった。チームは5日現在、5位に低迷するが、若さあふれるハッスルプレーは、谷繁監督からも「今、うちに一番必要なプレーをしてくれた。一振り、外野の守備にしてもワンプレーワンプレー、必死にやってくれた」と評価されている。

 近藤は、尊敬する父以外に、目標としてきた人物が2人いるという。一人は、現役時代は守備のスペシャリストだった英智外野守備走塁コーチ。同じ右投げの外野手で「球際の強さを勉強したい。守備であそこまで信頼してもらえる選手になりたい」と理想に掲げる。

 もう一人は父と同じ享栄高(愛知)の先輩で、ゴールデングラブ賞の常連でもある大島だ。「高校の尊敬する先輩。(1軍で)一緒に守りたいと思っていた。いろいろ聞きたいことがあります」。高校時代、自主トレで母校を訪れた大島を見て「すごい人がいるんだなと思っていました。足が速いし守備範囲が広い」と羨望(せんぼう)のまなざしを送っていたという。昇格後に、その願いはかなった。左翼で初先発し、中堅には背番号8がいた。

 大島に近藤のことを聞くと「いい経験をしているんじゃないですか」と笑顔。質問を受ければ「もちろん答えますよ。でも、まだ聞かれてはないですよ」と笑っていた。

 これからはその隣に居続けることが目標となった。支配下登録会見で、色紙には「1軍定着」と記した。父は左肩の故障もあり、わずか8年で現役を引退した。「父より長く、野球人生を送りたいですね」。大きな背中を追いかけ、追い越すためにも――。勉強の日々を過ごす23歳は「これからが大事です」と力強く結んだ。(記者コラム 細川 真里)

続きを表示

この記事のフォト

2016年8月6日のニュース