トヨタ自動車が初優勝!エース佐竹涙の完封、30回1失点で橋戸賞

[ 2016年7月27日 05:30 ]

<トヨタ自動車・日立製作所>初優勝を果たし喜びを爆発させるトヨタ自動車ナイン

第87回都市対抗野球決勝 トヨタ自動車4―0日立製作所

(7月26日 東京D)
 トヨタ自動車(豊田市)が悲願の初優勝を飾った。日立製作所(日立市)との決勝戦は、エース右腕の佐竹功年投手(32)が何度もピンチを迎えながら8安打11奪三振で完封勝利。今大会は計30回を1失点、4勝の大活躍で橋戸賞(最優秀選手賞)に輝いた。日本選手権を4度制覇した強豪が、都市対抗18度目の出場でついに念願をかなえた。35度目の出場で初めて決勝に進んだ日立製作所は創部100年目での日本一を逃した。

 止まらない。両目からあふれ出る涙を、佐竹は白いユニホームで何度も拭った。歓喜の男泣き。エースで主将、そして優勝投手となった32歳のベテランは、声を震わせながら喜びに浸った。

 「本当に長かった。そのひと言に尽きる。これで見返せた。(社会人入りして)11年分、やっと解放されました」

 七十七銀行との1回戦に続く完封劇。序盤から走者を背負っても、冷静に打者を仕留めた。4回1死一、三塁のピンチを切り抜けると、もう佐竹のペースだ。最速143キロの直球と100キロ台のカーブで幻惑。低めを丁寧に突き、124球を投げて無四球で11三振を奪った。準決勝を除く4試合に登板し4勝。計30回をわずか1失点、与四球も2個しかなかった。

 「心、メンタルですね。心がぶれなくなった。きょうも9イニング、心が乱れることなく投げられた」。早大時代は最速150キロを誇るも、制球に難があった。今では正確無比なコントロールこそが最大の武器だ。「経験です。昔は“打たれたくない、いいボールを投げたい”という思いが先だった。今は“打たれてもいい”と」。成功と失敗を繰り返してたどり着いた境地。今季から指揮を執る桑原大輔監督も「いろいろなものを背負って投げてくれたと思う。100点です」とねぎらった。

 09年、Hondaに敗れた決勝戦では中継ぎで登板した。14年には西濃運輸の補強選手として優勝を経験。同年の日本選手権では計30回2/3を無失点に抑えてチームを優勝に導き、最高殊勲選手賞を受賞した。それでも…。佐竹は、トヨタ自動車の一員として何としても都市対抗で勝ちたかった。「トヨタは夏に弱い、都市対抗に勝てないと言われ続けて…。選手はそろっていてもチームワークが悪いとも言われた。本当に悔しかった。いつか見とけ、と思っていた」。最優秀選手である「橋戸賞」を受賞。今季から務める主将として、黒獅子旗も授与された。ついに無念を晴らした。

 チームは5試合で無失策。堅守でもエースをもり立て、一丸となって初優勝へとまい進した。身長1メートル69。小さな大エースは最後に宣言した。「これからは常勝トヨタを築く」――。もう、涙は乾いていた。その目は、強い決意に満ちていた。(鈴木 勝巳)

 ▼トヨタ自動車・細山田(元ソフトバンク。早大の3学年先輩・佐竹を好リード)佐竹さんは責任感が強いし、自分は引き出すだけ。プロ上がりの僕にもみんなが親しみを込めて接してくれてやりやすい。

 ▼トヨタ自動車・豊田章男社長(優勝後、佐竹と抱き合い)感激した。佐竹投手は涙を流していたが、一生懸命努力した者しか流せない涙だ。トヨタ、日立とものづくり企業同士の決勝だった。日本をもっともっと元気にしたい。

 ◆佐竹 功年(さたけ・かつとし)1983年(昭58)10月14日、香川県小豆島生まれの32歳。土庄町立大鐸小2年で軟式野球を始め、土庄中では捕手。土庄3年夏は香川大会16強で、甲子園出場はなし。早大では通算27試合で4勝4敗、防御率1・80。06年にトヨタ自動車入社。14年にはアジア大会の社会人日本代表に選ばれた。1メートル69、72キロ。右投げ右打ち。

 ◇トヨタ自動車 1937年(昭12)8月28日創立。資本金3970億5000万円(15年3月末現在)で、16年3月期の売上高は約28兆4000億円。従業員数は34万4109人(同)。本社は愛知県豊田市トヨタ町。豊田章男社長。野球部は47年創部。主なOBは元ヤクルト監督の古田敦也氏、オリックス・金子、中日・吉見ら。

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