由規 復活秘話 ダルと同期の兄・史規さんが投球フォーム修正

[ 2016年7月25日 08:04 ]

08年2月のヤクルト浦添キャンプで、由規(左)は兄・史規に作ってもらったTシャツを披露する

セ・リーグ ヤクルト5―2中日

(7月24日 ナゴヤD)
 ヤクルト・由規が復活できたのは、兄のサポートが大きかった。3歳年上の史規(ひさのり)さん(29)。弟の速球をキャッチャーミットで受け止め、二人三脚で投球フォームをつくり上げた。

 「少しでも支えになりたい。僕はアマで彼はプロ。でも小さい頃からずっと投球フォームを見てきた」。東北高野球部出身。控え捕手として同期のダルビッシュ(レンジャーズ)の球を受けた。データ班としても対戦投手を分析し、フォームの癖を見つけた。仙台育英時代の由規にも癖があり、解消させたこともある。プロに入っても由規が故郷・仙台に戻る年末年始に自主トレのパートナーとして球を受け続けてきた。今年1月だった。由規は投げる際、右腕の位置を気にしていた。

 「由規の生命線は体のバランス。腕の位置が自然と決まるには下半身を意識した方がいいと助言した。上半身ばかりに意識がいっていたから」。フォームを見つめ直し、2人で過去のフォームと見比べた。写真やベースボールカードまで見た。1月下旬、兄は「今年はいける」と確信した。

 「ケガする前は力を入れた140キロ。今は力を伝えた140キロ。無駄のない力の伝わり方。球に切れがある」

 父・均さん(55)が仙台市内で経営しているタクシー会社で、史規さんはマイクロバス運行に携わる。由規の支配下登録が決まった7月5日だった。楽天の2軍が試合を行った山形まで球団スタッフを送迎し「おめでとう」と祝福された。「球団は違えど、みんな気にしてくれている。気持ちよく運転しました」。野球に興味のなかった由規に面白さを教えたのも兄。復活への道筋をつくったのも兄だった。

 ≪右肩手術…育成契約…由規の復活まで≫

 ▼11年9月3日 巨人戦(神宮)で7回2失点に抑え、シーズン7勝目。その後、右肩の張りで戦列を離れ、これ以降の1軍登板なし。

 ▼12年5月27日 左膝下剥離骨折が判明。

 ▼13年4月11日 横浜市内の病院で右肩のクリーニング手術。

 ▼14年6月14日 イースタン・リーグのフューチャーズ戦で792日ぶりの実戦復帰。

 ▼15年2月22日 3年ぶりの1軍キャンプで、日本ハムとのオープン戦(浦添)で151キロを計測する。

 ▼同11月12日 同シーズンは1軍登板なし。育成契約選手となり、背番号は「121」に変更される。

 ▼16年6月22日 イースタン・リーグ、巨人戦(ジャイアンツ)で5回2失点。最速151キロを計測し、視察した真中監督は「1軍で十分通用する」と話し、支配下選手登録が内定。

 ▼同7月5日 支配下選手として契約。背番号は「121」から以前の「11」に戻る。

 ▼同9日 中日戦(神宮)で5回0/3を6失点。敗戦投手も1771日ぶりの復帰戦で「夢の中にいるようだった」とうれし涙を流す。最速は149キロだった。

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2016年7月25日のニュース