PL学園 色あせたブランド力 強化費捻出を難しくした背景

[ 2016年7月15日 18:17 ]

<東大阪大柏原・PL学園>最後の夏を終え、号泣するPL学園・梅田主将

 1980年代に圧倒的な強さを誇り、その後も多くの名選手を輩出したPL学園は、2001年に6カ月の対外試合禁止処分を受けて以降、衰退の道をたどることになった。

 かつては「プロへ行くため」と中学硬式のクラブチームから有力選手が集まったが「付き人制度」を背景とする度重なる暴力事件でイメージが悪化。有力選手が他校に流れ始め、高校球界屈指のブランド力も色あせた。

 06年には前田健太投手(現ドジャース)を擁して選抜大会で4強入りしたが、21世紀に入ってから甲子園で8強以上に進んだのはこの一度だけ。ここ9年で4度甲子園大会を制した大阪桐蔭などの後塵を拝した。

 13年に再び6カ月の出場停止処分を受けると、学校側が新入部員の募集停止を決め、硬式野球部の休部へとかじを取った。教団の信者数も目減りし、強化費の捻出が難しくなったのも衰退の一因といえる。

 桑田真澄、清原和博両選手の「KKコンビ」をはじめ、プロ球界で一大勢力を誇ったものの、15日に第1戦を迎えたオールスター戦にPL学園出身の選手は一人も選出されていない。

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