【徳島】池田・井上監督 真の復活へ導く!蔦、岡田両氏からバトン「夢の夢の…」

[ 2016年7月8日 12:24 ]

86年のセンバツで優勝し、宿舎で優勝旗を前に、笑顔で記念撮影する池田の選手たち。前列中央は蔦文也監督

 第98回全国高校野球選手権大会(8月7日開幕、甲子園)の地方大会は沖縄などで始まり、9日からは大阪大会が開幕するなど本格化する。夏の高校野球から101年目を迎えた今夏。母校の監督に就任し、復活を目指して初めての夏に挑む池田(徳島)の井上力監督(47)に迫った。

 「やまびこ打線」と形容された強打で春夏計3度の甲子園大会優勝を誇る池田も、1986年選抜を最後に全国優勝から遠ざかる。あれから30年。優勝の味を知る井上力が監督として帰ってきた。赴任初日となった4月1日、母校に足を踏み入れる前に向かった先は恩師である蔦文也元監督が眠る墓。蓮華寺にある墓前で両手を合わせた。

 「蔦監督、池田高校に赴任することになりました。今の自分があるのは、すべて池田高校のおかげです。精いっぱい頑張ってきます。見守っていてください」

 井上監督は中軸打者として2年春、3年春夏と3度甲子園出場を果たし3年生になった86年春は「6番中堅」で5試合、18打数8安打の打率・444、4打点で同校2度目の選抜優勝に大きく貢献した。当時のエース左腕が梶田茂生(日本生命コーチ)。松島スポーツ少年団で知り合った、10歳の時から親友だ。日本生命は昨年の都市対抗、日本選手権の二大大会を制覇。友の活躍も、さらなる刺激になっている。

 蔦元監督の後を継いだ岡田康志氏が2010年4月に2度目の監督復帰を果たすと、14年選抜に27年ぶりに出場。1回戦で海南(和歌山)にサヨナラ勝ちした。「蔦さん、岡田さんとバトンがつながってきた。縁があって池田で監督をさせてもらえるのはありがたいこと。夢の夢の夢のよう」。岡田氏が築いた復活への土台を足がかりにして、真の復活へと導くのが井上監督の使命だ。

 日体大卒業後、10年間の中学校教諭生活を経て勝浦、徳島商、穴吹で監督を歴任。特に徳島商での経験が大きい。池田出身者がライバル校の監督に就任するのは異例のことで、当時難色を示した徳島商OBらに「私は池田の卒業生ですが、恩師の蔦文也さんは徳島商OBです。その蔦先生の野球こそ私の原点。徳島商を私の母校だと思って監督をさせていただきます」と頭を下げた。徳島商では06、07年夏に甲子園出場を果たした。

 現在、池田は女子マネジャー4人を含め部員58人。全部員が初心を取り戻すよう、日々接しているという。「歴史と伝統は力になる。それは徳島商で学んだこと。どうして池田を受験し入学してきたのか。その気持ちを、初心を思い出してほしい」。2年後に迫る夏の100回大会は今春入学した1年生が主役になる。「池田高校として、100回大会には絶対に甲子園に出場したいと思っています」。初陣は10日・海部戦。新監督の熱い夏が始まる。 (吉仲 博幸)

 ◆井上 力(いのうえ・ちから)1968年(昭43)10月1日生まれの47歳。徳島県上板町出身。池田では1年秋からベンチ入りし甲子園には2年春(4強)、3年春(優勝)夏(1回戦敗退)と計3度出場。日体大ではMVPとベストナインをともに2度受賞し首位打者1回。卒業後は中学校教諭を約10年務め、高校教諭としては勝浦、徳島商、穴吹に赴任。板野支援学校を経て今年4月1日付で池田に赴任した。

 ▼池田高校 1922年に創立された男女共学の公立校。野球部は47年に創部され71年夏の甲子園初出場から春8回、夏9回出場。選抜初出場となった74年は部員11人で準優勝し82年夏、83年春と2連覇するなど春2回、夏1回の甲子園大会優勝を誇る。主なOBには畠山準(元南海)、水野雄仁(元巨人)らがいる。

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