【それぞれの夏】残る部員は2人…与論・向井要人主将、後輩に託す夢

[ 2016年7月7日 08:35 ]

試合前にガッツポーズで意気込む与論の向井要人(かなめ)主将だったが…

 鹿児島最南端の島に、朗報は届かなかった。“東洋の真珠”と呼ばれる、1周約21キロの与論島唯一の高校、与論が2回戦でシード校の鹿屋中央と対戦。0―11の5回コールド負けを喫して、滞在1日で帰島した。

 「悔しいですね。守備は三塁線と三遊間に2回飛んで来て処理できましたけど、1本打ちたかった。そこが悔しい」。向井要人(かなめ)主将の眼鏡の奥はすぐ乾いた。

 沖園洋一監督が「うちは守りのチーム」と言う通り、遊撃手の町平は強烈なゴロを体の正面で止め、中堅手・町山はライナー性の打球を難なく捕った。ただ決定打が出なかった。向井らが入学する前の14年3月に先輩たちが春の鹿児島大会、鹿児島高専戦(6―2)で勝って以来の公式戦勝利はならなかった。

 チームは5日に約20時間かけて船で鹿児島市に入った。部員全員がベンチ入りするため、スタンドの保護者がメガホンを手に「♪パパパー、パパパー、パパパパパー♪」と山本リンダの「狙いうち」の「口ブラ」を続けた。総力戦で挑んだが、思いは通じなかった。

 「3年間はあっという間でした。千葉の専門学校に行って飛行機の整備士の勉強をする予定です」と向井は前を向く。全部員は10人で、3年生8人が抜けると1年生が2人だけ。部の存続さえ危ぶまれるが「試合ができるか分からないが、できるならば勝ってほしい」と後輩に白星の夢を託した。小、中、高とすべて幼なじみで、白球を追ってきた思い出は消えない。与論の挑戦は、また引き継がれた。

 ◆向井 要人(むかい・かなめ)1998年(平10)9月12日、大阪府茨木市生まれ、与論島育ち。茶花小1年時に「グッドボーイズ」で軟式野球を始めて与論中軟式野球部では遊撃手を務め与論に入学。「守備のカナメとよく言われます」。1メートル72、56キロ。右投げ右打ち。

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2016年7月7日のニュース