栗山監督 大谷の「1番・投手」は名将・三原流 45年前の再現

[ 2016年7月4日 05:30 ]

<ソ・日>初回、大谷(左)は右中間に先頭打者弾を放ち栗山監督に迎えられる

パ・リーグ 日本ハム2―0ソフトバンク

(7月3日 ヤフオクドーム)
 日本ハム・栗山英樹監督(55)が、首位・ソフトバンクとの一戦で実行に移した二刀流の究極の進化形「1番・投手・大谷」。その背景には、尊敬してやまない名将・三原脩氏の“教え”があった。

 まるで漫画のようなストーリーを、栗山監督はずっと頭の中で描いていた。「1番・投手 大谷」を生んだのは、名将から学んだ教訓にほかならない。

 「三原さんは先入観にとらわれず、いろんなことをやってきた。同じように、今の野球にもまだまだ可能性があるんじゃないかと思う」。偵察要員やワンポイントリリーフなど、前例のない戦術を用いた三原氏。だから栗山監督は就任以来「先入観にとらわれないこと」を念頭に置いてきた。就任1年目の開幕戦「2番・稲葉」に始まり、大谷の二刀流継続もそうだ。

 その三原氏の墓参りは毎オフ、欠かしたことがない。大谷の入団1年目の13年1月。名将の墓前で栗山監督はこんなことを言った。「三原さんだったら、大谷をどんなふうに使うのか。迷ったときには背中を押してください」と。三原氏は近鉄の監督時代に永淵洋三を二刀流で使い、ヤクルト監督の就任1年目の71年には外山義明を「1番・投手」で起用した。この日の大谷は、それ以来の「1番・投手」だ。「それは意識しなかった。ただ、一番いい打者を1番に入れたらどうか?そんな三原さんのイメージはあった」と明かした。

 二刀流4年目。肉体的な成長とメンタル面の充実があって、ついにこの日を迎えた。でも、イメージは大谷の入団時からあったものだ。「いつか漫画みたいなことができたらいいよね」。栗山監督は13年の名護キャンプのときから、そう話していた。漫画のような「1番・投手 大谷」。ただし、初球を先頭打者アーチなんて、栗山監督のイメージをはるかに超えていたに違いない。 (秋村 誠人)

 ≪外山は2回途中5失点KO≫外山(ヤ)が二刀流に取り組んだのは2年目の71年。投手が本業ながら、打力に注目した三原監督が外野のスタメンや代打でも起用した。8月22日の大洋戦で初の1番に座って先発登板も2回途中5失点でKOされ、打席は初回の一ゴロだけだった。結局、同年は投手で33試合、5勝11敗、防御率3.25。打撃成績は74試合で打率.211(20安打)、3本塁打、11打点の成績を残した。

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2016年7月4日のニュース