岩貞の快投引きだした菅野 阪神―巨人80年の歴史で新たな好敵手

[ 2016年5月28日 09:05 ]

<巨・神>菅野(左端)との投げ合いを制した岩貞

セ・リーグ 巨人0-1阪神

(5月27日 東京D)
 【内田雅也の追球】昭和30年代のパ・リーグで覇を競った南海(現ソフトバンク)の杉浦忠と西鉄(現西武)の稲尾和久はライバル関係にあった。投げ合った試合は通算24勝24敗の五分だった、と杉浦が著書『僕の愛した野球』(海鳥社)で明かしている。

 杉浦が本紙評論家を務めた1990年代、その対抗心を肌で感じたことがある。「僕は評論でも稲尾に負けん」と語っていた。稲尾は他紙の評論家だった。「特に同じ試合で解説や評論をする際は絶対に負けん。取り上げる題材、掘り下げる内容、わかりやすさ……負けはせんよ」

 決して仲が悪いわけではない。杉浦は先の著書(95年刊)で<サイちゃんは今でも僕の目標の人です>と書いていた。引退後もライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)していたのだ。

 同じく本紙評論家の鈴木啓示は「投手は打者と対戦するわけだが、時には打者以上に相手投手に負けまいとして意識するものだ」と語っている。たとえば、近鉄での現役時代、好敵手だった阪急・山田久志との対戦を例にあげていた。

 ならば、この夜の阪神・岩貞祐太は巨人・菅野智之との投げ合いを力に変えていた。大学時代から実績で先を行く菅野は大きな存在だった。先発の軸になれた今季、岩貞は試合前までセ・リーグで防御率、奪三振とも菅野に次ぐ2位で追っていた。巨人戦は初登板。伝統の一戦という大舞台で投げ合える機会を、緊張よりもチャンスととらえていた。

 最少リードを守る重圧に耐えきれぬ、というジンクス(縁起の悪さ)で言われる「スミ1」でも恐れることはなかった。ヒーローインタビューで語った「この1点を守り抜けば勝てる、と自分に言い聞かせた」が、重圧に立ち向かう強い心を示している。守勢に回らず、攻め続けた結果、連続9イニング、1点を守り抜いたのだった。

 7回裏2死二塁で菅野に代打(脇谷亮太)が出て降板となった時、9回表、自ら打席に立った時……そんな時々で、達成感を積み重ね、初完投初完封の快挙となった。

 野球は戦う相手と相互に刺激しあう競技と言われる。つまり、岩貞の好投は菅野が引き出した。菅野に投げ勝ったのは菅野のおかげだった。

 阪神―巨人80年の歴史で、新たな好敵手が誕生した、記念すべき夜になった。=敬称略=(スポニチ編集委員)

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2016年5月28日のニュース