サブロク双亮 手元に残る給料は10万円…赤字でも野球は「人生」

[ 2016年5月3日 11:00 ]

40歳の新人として投げ続ける愛媛・サブロク双亮(愛媛マンダリンパイレーツ提供)

 不惑のオールドルーキーが夢を追っている。四国アイランドリーグ(IL)plus・愛媛マンダリンパイレーツに入団した、お笑いコンビ「360°モンキーズ」の杉浦双亮(=そうすけ、登録名・サブロク双亮)投手(40)。開幕から約1カ月。堂々のプロデビューを果たして、ここまで3試合に登板した。芸人ではなく活動の軸足は野球に置き、苦しい赤字生活が続く。それでも空腹の時は夢を食べる。なぜなら、何より野球が好きだから――。 (鈴木 勝巳)

 戦況を見つめながら、ブルペンで出番を待つ。杉浦が「プロ野球選手」になったことを実感する瞬間だ。

 2度目の登板は4月28日のソフトバンク3軍戦(タマスタ筑後)。7―0の9回2死二塁、いきなりルーキー茶谷に左前打を許したが、続く育成の金子将を中飛。勝ち試合の最後を締めた。1日の高知戦(高知市営)にも5番手で登板した。

 「いやあ、楽しいです。今まで夢見てきた舞台に、40歳でこうやって立てて…」。帝京野球部時代は最速141キロも、現在の直球は120キロほど。カーブにカットボール、ツーシーム…。変化球を交え、制球力を武器に打たせて取る投球スタイルだ。不惑。年齢が半分ほどの若手と、必死に汗を流す。「体力的にはキツい。高校時代にバリバリやっていた頃に戻りたいですね」。それでも、その笑顔は充実感でいっぱいだった。

 帝京大時代に芸人の道へ。一方で、たけし軍団らとプレーし、芸人リーグにも入った。週に1度の草野球が「生きがいだった」という。元々プロ野球選手になる夢を抱いていた。昨年8月。知人から四国ILのトライアウトの話を聞いて「人生の夢にもう一度挑戦して、それでダメなら諦めがつくと思った」。見事に合格。プロへの道が開けた。

 もちろん、甘い世界ではない。選手としての月給は諸経費を差し引くと「10万円もいかない。芸能の仕事がない限り、野球だけやっていたらずっと赤字生活ですよ」。

 独身。東京都内に賃貸マンションを残し、松山市内にも5万円ほどのアパートを借りた。両方の家賃を払いながら生活費も捻出する。球団、事務所と相談し、大きな仕事が入った際はスケジュールを調整することにした。しかし基本は野球に軸足を置いている。

 「お金は気にしてないですね。お金より、この経験は貴重。自分の人生で、自分で選んだ道ですし。人生の財産として持ち帰りたいです」

 40歳。新たな挑戦に踏み出す同世代の人は、世の中にも大勢いる。「僕も同級生から“励みになる”“勇気をもらった”と言われる。やって良かったな、と思う」。現在は松山市内のジム「ワールドウィング」に通う。42歳のマリナーズ・イチローも取り組む初動負荷理論で有名だが「今からじゃ遅いかな…と思うけど。股関節や肩甲骨とかの可動域を広げて、どうにかプロで通用する体づくりをしないと」。上を向く。前に進む。そこに年齢は関係ない。

 プロ野球選手という夢をかなえた杉浦には、将来の夢もある。野球での経験を本業の芸人としての成長につなげたい。さらに「これだけ野球に携われた。野球の面白さを子供たちに伝えて…。少年野球を教えたりとかしたいですね」と明かした。

 そんな杉浦にとって、野球とは何か。「8歳の頃から32年間ずっと、人生の半分以上がほとんど野球で…。人生じゃないですかね、僕の」――。「野球は人生そのもの」とは巨人・長嶋茂雄監督の名言だ。NO BASEBALL、NO LIFE。おじさん世代の星として、次は悲願の「プロ1勝」を目指す。

 ◆杉浦 双亮(すぎうら・そうすけ)1976年(昭51)2月8日、東京都八丈島生まれの40歳。帝京野球部では三沢興一(現巨人スコアラー)の1学年後輩。97年5月に山内崇とお笑いコンビ「360°モンキーズ」を結成。ツッコミ担当。テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で数々の野球関係のネタを披露。1メートル74、70キロ。右投げ両打ち。

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