負けて学んだ大舞台 元センバツNo・1右腕が得たものとは

[ 2016年3月20日 09:30 ]

2011年センバツに金沢のエースとして出場した釜田

 第88回選抜高校野球大会が20日、開幕した。センバツがプロへの礎となった選手も多い。

 楽天・釜田佳直投手(22)は金沢高校3年の11年春、初めて甲子園の土を踏んだ。最速152キロを誇る大会屈指の剛腕として、開幕前から注目を浴びていた右腕。だが、待ち受けていたのは予想外の結果だった。

 大会2日目、加古川北(兵庫)との初戦。初回からいきなり150キロを計測し、聖地を沸かせる。「3年春にやっと出られた甲子園。楽しみが多かった」。4回まで打者1人も出さない完全投球で8奪三振。前評判通りの投球を続けていた。

 だが5回2死、初安打を浴びると、この回2失点。リズムが狂っただけではなかった。「楽しみ過ぎて、知らないうちに力が入っていた。初回から全力で正直、ガス欠でしたね」と苦笑いする。

 その後も失点を重ね、0―4で初戦敗退。大会No.1右腕は早々と姿を消した。「冷静に振り返れば、あのピッチングで9回までは無理。考える余裕がないくらい舞い上がっていた」と当時を回想する。相手エース井上は2安打完封。最速140キロながら打たせて取る技巧派で「こういうのが勝てる投手なんだと思った」と学んだ。

 センバツ後、「それまでは絶対0点という気持ちが強かったが、最終的に1点でも多く勝っていればいい。極端なことを言えば11―10でいい」と考え方が変わり、気持ちに余裕が生まれた。夏の甲子園では2回戦で聖光学院(福島)の歳内(現阪神)との投げ合いに4―2で勝利。味方が逆転した直後の6回にこの試合最速の150キロをマークするなど、勝負どころでギアを変える投球術は圧巻だった。3回戦で習志野(千葉)に1―2と惜敗したが、春から成長した姿を見せた。

 「センバツでのああいう経験がなかったら、プロ野球選手になれていたか分からない。あの経験は必要不可欠でした」。17歳の春、聖地で味わった悔しさが後のプロ入りする原動力となったのだ。

 ちなみに、春も夏も「甲子園の土」は持って帰らなかったという。「夏はアイシング終わったら整列してて…誰も持ち帰ってなかったので」とチャンスを逃した。だが、野球の神様はちゃんと見ていた。プロ初登板は翌12年5月20日の阪神戦。球場は甲子園だった。

 あの春から5年。今、右腕は14年3月に受けた右肘のトミー・ジョン手術から復活を果たし、今年は先発ローテーション入りに向けて順調に調整を重ねている。

 今年のセンバツも32校が出場するが、勝ち続けるのはたった1校だけ。負けて学ぶこともある。先輩右腕が高校球児へ実体験を教えてくれた。(徳原 麗奈)

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