掛布2軍監督 変わらなかったタイガース愛 変わらぬ目標「1軍優勝」

[ 2016年3月16日 10:45 ]

<神・中>晴れ晴れとした表情で球場入りする掛布2軍監督

ウエスタン・リーグ 阪神2―9中日

(3月15日 鳴尾浜)
 公式戦初采配を振った阪神・掛布2軍監督がスポニチの独占取材に応じ、熱い思いを明かした。そこで見えてきたものは、タイガース愛と現場への思い。そして1軍を支えるという強い決意だった。

 1988年の現役引退から、2013年の育成&打撃コーディネーター(DC)就任まで25年も、現場から遠ざかっていた掛布監督。評論家として活動している間も、「タイガース愛」は変わることがなかった。

 「一番厳しく見ていたと思う。一番気になるチームでしたから。阪神のゲームに関しては、非常に厳しく見てしまう目があったと思う。自分が育ってきたチームですし、強くあってほしいという気持ちが厳しい表現になってしまったのかもしれない。それは、やっぱり阪神がセントラル・リーグを引っ張っていくような戦い方をしてほしいという気持ちからだった」

 実はユニホームを着るチャンスはあった。楽天の新規参入が決まった04年、初代監督就任のオファーがきた。交渉は進んでいたが、最終的には破談となった。

 「(ユニホームを)着るつもりでした。ただ、僕のやりたい野球をやれる環境が整わなかった。自分なりに野球に対する思いがあって、三木谷オーナーと野球に対する根本的な考えが違ったんですよね」

 13年10月、阪神から現場復帰のオファーが届く。

 「若い選手におまえの力が必要なんだと球団の方から言われた。断る理由もなかったが、自分が戻ることに関して、ちょっと怖い部分もあった。年齢もあったし、25年間ユニホームも着てないわけですから。若い選手と一緒に野球をやるわけで、時間に対する怖さがあった」

 久しぶりの現場復帰に不安はあったが、古巣のために一肌脱ぐことを決意。ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)のポストが新設された。ひとたび、グラウンドに立てば野球人の血が騒いだ。ブランクはすぐに埋まった。

 「入ってしまうと年齢というのはあまり感じなかったし、思っているほど距離感も感じなかった。ずっとグラウンドレベルに自分の気持ちがあるということに気付きましたね」

 15年10月、ついにユニホームに袖を通す時がきた。2軍監督就任の打診だ。

 「古屋(前2軍監督)がいるし、最初は断った。いろんな周りの状況を考えたときに、そう簡単に返事はできないなと思った。育成というポジションが1年で代わるっていうのは、(古屋前監督の)本意ではないと思った。古屋とも食事をしていろいろ話をした。古屋は快く“お前だったら、バトンを渡せる”と言ってくれた。古屋の処遇も気になった。(2軍のスタッフで)残ってくれるのであれば、非常にありがたいと球団に伝えた」

 古屋前監督は2軍チーフ兼守備走塁コーチとして残留。掛布監督を支えることになった。

 就任後は2軍の練習にも連日、大観衆が押し寄せ“掛布フィーバー”が起こった。高知・安芸での秋季キャンプも盛況。虎の未来を託された指揮官が船出を迎えて思うことは何か。

 「マスコミやファンの方々の(就任に対する)反響の大きさにビックリしている。選手を育てなきゃいけないというプレッシャーを感じている。それに、周りの方々が、自分に対して何か答えを求めているのを感じている。どういう答えを期待しているんだろうという不安も感じる。僕の答えは1軍の優勝しかないと思うけれども」

 自らの後継者となるミスタータイガースを育成し、チームを常勝軍団に押し上げる。60歳の新人監督の挑戦が始まった。(取材・構成 柳澤 元紀)

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2016年3月16日のニュース