常勝の宿命を背負う知将

[ 2016年3月12日 05:30 ]

練習を見つめる東邦高校の森田泰弘監督

 あくなき向上心とはこのことか。森田泰弘監督(56)は“これで良いというものはない”といつも己に言い聞かせている。

 「どういう形が良いのかは分からないじゃないですか。コーチとして20年、監督として12年目、32年やってきて積み上げてきたものはありますが、もっと良いやり方、方法があるのでは…とね。いつも考えています。それに新しいものが好きだから、どんどん色々なものを取り入れたいと思います。幸いなことに20年間、阪口(慶三)監督(注1)のもとでコーチをやって人脈や伝統を引き継ぐことができた。それにそばにいていろいろと気づくこともありましから」

 高校時代は1977年夏の甲子園で準優勝を果たしている。「バンビ坂本」と呼ばれた当時の1年生投手・坂本佳一さん擁するチームの主将&4番打者だった。その後、名門・駒大から社会人野球・本田技研鈴鹿に進んだ。大学でも高校時代同様に大型三塁手として活躍が期待されたが、主力になるべき3年時に左大臀筋を肉離れ。その故障がずっと尾を引いた。疲労が重なれば時に足が動かなくなった。社会人3年目にはマネジャーとしてチームに残ることを求められた。悩んだ末に阪口慶三監督の要請に応じてコーチとして母校を指導することになった。

 「当時は阪口監督が1人でチームを指導していた。学校がコーチを職員として採用してくれるということなのでやらないか、とね。その前に先輩が家業を手伝いながらコーチを務めていたので自分もそんな感じでやってみようと。両親も“監督がそうおっしゃっているのだから手伝ってきなさい”と言ってくれました。実はずっといずれは家業を継ごうと考えていたんです。こうなるとは思いもよりませんでした」

 実家は愛知県知多市で酒店と料理の仕出し業を営んでいた。妹が1人いる長男。野球をやりたいだけやったら、実家に戻ろうと漠然と考えていた。ところが、現役引退の報告に阪口監督の元を訪れたことで状況は劇的に動いた。本人にその意識はなくとも、今となっては“いずれは監督に”という構想も読み取れるコーチに1984年就任。1967年から2004年の退任まで春13回、夏11回の甲子園出場を果たした大監督を20年に渡って支え続け、監督のタスキを引き継いだ。

 「監督の仕事は本当に色々あります。グラウンドでは選手たちが能力を発揮できるような良い環境を整えることが一番ですね。練習方法もそうですし、チームとしてのシステムをどうやって構築するか、ということもある。進路の相談にも乗ります。選手を見守るというより、いつも心配しています。ここで野球をやったことが将来につながれば、私と関わったことが少しでも将来の役に立てば…とね。当たり前ですが、生徒には全員公平に接しています。だから、卒業生の顔と名前は誰ひとりとして忘れていません」

 教え子たちは人生の岐路に立つと決まって森田のもとに相談に訪れる。大学、社会人、プロに進んでもいずれはそのチームでプレーできない日がやってくる。それでも野球を続けたい、現役を続けたいという切なる願いをぶつけられることもある。森田はその相談に乗り、新天地探しに労を惜しまない。あらゆるつてを頼って教え子の願いを叶える努力をする。

 「そら、一生懸命に話を聞いて励まします。けど、相手のリクエストがないと選手として送れませんから。数が限られていますからね。だから、残念ながら希望がかなわない時もあります。逆に先方に迷惑をかける時だってある。もちろん、東邦野球部の名前があります。でも、それは全て僕の責任ということです。これはコーチ時代にはなかったですよね」

 今年4月に57歳を迎える。自分がタスキを引き継いだように後任を迎え入れる準備も始めなければいけない時期になってきた。チームは常勝を義務づけられた全国屈指の伝統・名門校。この舵取り役を任せる後任は自分以上に大きな困難が待ち受けているだろうと心を痛める。

 「この10年は生き残りに必死でした。低迷すると上がれない、と。いつもそのことを念頭に置いていました。甲子園に出られない時もありましたが、常に上位で上位で…、アベレージを残そうとね。常勝は本当に難しいですよ。他の学校も施設や環境など色々と特色を打ち出して強化している。これからは能力のある選手を確保することも一段と難しくなるでしょうからね」

 伝えたいことはいくらでもある。だから後任候補はまずはコーチとして傍らに置くことになるだろう。もちろん、それは自分の指導法を押しつけるためではない。“これで良いというものはない。俺のいいところどりしろ。そして自分なりに考えて考えて考え続けろ”の思いが込められている。

 (※注1)阪口慶三(さかぐち・けいぞう)1944年(昭19)5月4日生まれの71歳。1967年から母校・東邦高の監督に就任。2004年までチームを率い1977年、88年選抜で準優勝、89年選抜で優勝に導いている。05年から大垣日大監督。07年選抜で準優勝している。

 ▽森田 泰弘(もりた・やすひろ)1959年(昭34)4月4日、愛知県知多市生まれの56歳。東邦では3年夏(77年)に主将として甲子園準優勝。駒大、本田技研鈴鹿でもプレーし、引退後の84年から東邦コーチ。04年秋の新チームから東邦監督に就任し、翌05年の選抜で8強。夏の甲子園は08年、14年に出場している。

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