今だから言える 楽天・嶋 感動呼んだスピーチ「正直、重荷になった」

[ 2016年3月11日 14:05 ]

<楽・オ>3回無死、嶋が右越えソロを放ち、笑顔でナインとハイタッチ

オープン戦 楽天3-4オリックス

(3月10日 静岡)
 2011年3月11日。楽天が本拠を置く東北は大震災に見舞われた。当時、選手会長を務めていた嶋基宏捕手(31)は震災から約3週間後の4月2日の慈善試合でスピーチを行い、日本中に感動を与えた。あれから5年がたち、13年に初優勝するまでスピーチが「重荷」になったと告白。このオフには初めて仮設住宅に入り、現実も直視した。あらためて被災地球団の選手としての使命感を語り、オリックスとのオープン戦で岩手県出身の銀次とともにアーチの競演を果たした。 (聞き手・徳原 麗奈)

 ――2011年3月11日の東日本大震災から5年。今、被災地に対して思うことは。

 「今年もオフに被災地に行かせていただいたが、復興までまだまだ時間がかかると感じた。津波で流されたところには何も建物が建っていないし、まだ仮設住宅で生活している人も非常に多い。一番は被害に遭われた方の心がまだまだ癒やされていない」

 ――震災から約3週間後の4月2日。「見せましょう、野球の底力を」というスピーチで日本中に勇気と感動を与えた。

 「あれを言ったことによって正直、重荷になった。ここまで影響力を持つとは考えていなかった。僕の言葉で救われたと言っていただける人がたくさんいたので、言って良かったなと思う。その半面、(13年に)優勝するまでは凄いプレッシャーにも重荷にもなったのは確か。優勝してかなり、肩の荷が下りた」

 ――震災が起きた11年、チームは5位に低迷。自身も前年の打率・315から・224まで成績が落ちた。

 「自分ではいつも通りやっているつもりだったが、周りから“顔が暗い”“ハツラツとやっていない”と言われた。気持ち的にもっと頑張らなきゃいけないとプレッシャーを感じすぎていたと、シーズンが終わってから思った。いつもより一日が凄く長く感じたし、同じ試合数なのに、あの一年は物凄く長く感じた」

 ――2013年、楽天は球団初の日本一に輝き東北中が盛り上がった。野球を通して被災地に与えられるものは。

 「優勝に向かっていく中で、仙台だけでなく東北が一つになるのが肌で実感できた。球場の雰囲気、街の雰囲気が一つになっていくのが分かった。実際に優勝して本当に涙を流して喜んでくれたり、たくさんの方がパレードに来てくれたり、そういうのを見て優勝して良かったと感じた」

 ――昨オフ、FA権を行使せずにチームに残留する道を選んだ。

 「やっぱりもう一回、東北中が味わった感動を皆さんと味わいたい。それが一番。勝つにつれて街や東北全体が盛り上がっていくのを1回だけでなく、何回も経験したい」

 ――毎オフ、被災地に足を運び、被災者と交流を深めている。

 「シーズン中は、とにかく一生懸命戦うことが野球選手としてできること。オフになれば被災地に足を運び、いろいろな活動をして逆にそこから学ぶこともある。今年1月、宮城県東松島市へ行き、初めて仮設住宅の中に入らせていただいた。狭いスペースで家族5人が暮らしていた。めちゃくちゃ寒かったし、カーテン1枚だけで部屋を何個も区切って、そこで子供たちが勉強したり寝たり…。本当に考えがつかなかった。普通に生活していることがどれだけありがたいのか、その中に入って初めて感じた」

 ――今春の久米島キャンプでは朝の声出しで震災について触れた。

 「震災が起きた当時を知っている選手はこれからどんどん減っていく。僕もいつかは引退する。誰かが伝えないと、どこかで途切れてしまう。若い選手にもっと興味を持ってほしい。普通に野球ができて、普通に生活ができて、普通にご飯が食べられて…。それを当たり前に思ってはいけない。感謝の気持ちを持たないと。そういった思いを込めて声出しをした」

 ――震災を経験していない若い選手にどのように伝えていきたいか。

 「実際に足を運ぶことが大事。被災地に行って見れば肌で感じる。次に被災地に行く時は、行ったことがない選手を連れて行き、若い選手がそれを続けていったらいいなと思う」

 ――震災から5年の今季は本拠地・コボスタ宮城で開幕を迎える。

 「5年たったから何か特別なことをしようというわけではない。一年一年、3月11日を迎える時はもう一度、あの時の気持ちを忘れてはいけないという思いになる。今年も優勝した13年のようにもう一度、あの感動を味わいたい」

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