与那嶺監督にボビー…外国人監督の歴史 ラミレス監督の手腕やいかに?

[ 2016年2月25日 11:43 ]

ロッテで2度監督を務めたボビー・バレンタイン氏

 新監督が3人、そして6球団すべての監督が40代とフレッシュな陣容となったセ・リーグ。なかでも最下位からの巻き返しを狙うDeNAのアレックス・ラミレス監督は外国人監督ということもあって注目度は高い。

 現役時代にはヤクルト、巨人、DeNAの3球団で活躍し、外国人選手最多の通算2017安打を記録した。中畑清前監督同様、明るいキャラクターでチームを盛り上げてくれるに違いない。また、采配・作戦面では「捕手にリードは求めない。サインはベンチから出す」という方針が話題になっている。“ラミレスリード”がどのような結果をもたらすのだろうか?

 そんな注目を浴びるラミレス監督の先達となる、過去の外国人監督にスポットを当ててみたい。

◎与那嶺要(中日)

 「ウォーリー」の愛称で知られるハワイ生まれの日系アメリカ人。野球選手になる前はアメリカンフットボールの選手だった過去を持つ。

 1951年シーズン途中に巨人へ入団。1番バッターとして活躍し、特にアメリカンフットボール仕込みの激しいスライディングは、日本プロ野球に新風を巻き起こした。

 MVP1回、首位打者3回のタイトルを獲得し、1961年からは中日でプレー。現役引退後もコーチとして中日に残り、1972年、監督に就任する。

 中でも1974年は、巨人の∨10を阻止して20年ぶりのリーグ優勝を果たした。その後も監督を1977年まで6年間務め、退任後は古巣・巨人などでコーチを歴任。現役時代から約40年に渡ってユニフォームを着続けた。

◎ジョー・ルーツ(広島)

 1974年に広島の打撃コーチに就任した後、翌1975年には監督に昇格。日系人を除く純粋な外国人監督第1号となった。

 ルーツ監督の最大の功績は、今や広島のトレードマークとなっている「赤ヘル」を誕生させたことだ。前年までの帽子、ヘルメットの色を紺から「闘志を表す色」の赤に変え、チームの士気を高めた。

 さらに地元・広島出身の大下剛史を日本ハムから迎え入れるなど、トレードで選手を入れ替え、ファーストだった衣笠祥雄をサードにコンバートし、大胆なチーム改革に取り組んだ。

 ところが開幕から1カ月も満たない4月27日の阪神戦で事件が起こる。ルーツ監督は審判の判定を巡って退場処分を受けた。その際に球団代表が説得のためグラウンドへ出てきたことに対して、指揮権を侵されたと激怒。監督のプライドを傷つけられたルーツ監督は、そのまま監督を辞任しアメリカへ帰国してしまった。

 広島はその後、古葉竹識コーチが監督に昇格。悲願の初優勝に向けて快進撃を続け、ついに10月15日、敵地・後楽園での巨人戦でリーグ優勝を決めた。結果として志半ばで監督は退いたが、カープ初優勝の土台はルーツ監督によって築かれたと言っても過言ではない。

◎ボビー・バレンタイン(ロッテ)

 現役時代はドジャースでプレーし、レンジャーズでの監督経験を経て1995年にロッテの監督となる。

 ピンクを基調としたユニフォームを「弱く見える」という理由でピンストライプのユニフォームに一新。シーズンに入ると伊良部秀輝、小宮山悟、ヒルマンの先発投手陣、フリオ・フランコを中心とした打線で2位となる快進撃を見せた。

 優勝こそ逃すもオリックスのマジック1で迎えた敵地・神戸での3連戦3連勝は、今でも語り継がれている。ところが、広岡達朗GMとの確執によって、たった1年でチームを去った。

 その後、メッツで監督を務めた後、2004年にロッテの監督に復帰した。翌2005年には西岡剛(現阪神)、今江敏晃(現楽天)といった若手選手を積極的に起用。プレーオフを制して31年ぶりのリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでは阪神に4連勝して日本一に、さらにはアジアシリーズ制覇と一気に上り詰めた。

 ファンからは「ボビー」の愛称で親しまれていたが、球団との確執が表面化した2009年に惜しまれつつ辞任した。(『週刊野球太郎』編集部)

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