「ミスター完投」斎藤雅樹の凄さ これぞエース!の信頼感

[ 2016年2月13日 10:00 ]

1989年に11試合連続完投勝利を挙げた斎藤雅樹投手

 1月18日、2016年度の野球殿堂入りが発表され、競技者表彰のプレーヤー部門ではソフトバンク監督の工藤公康氏、巨人2軍監督の斎藤雅樹氏が選ばれた。

 斎藤雅樹といえば、槙原寛己、桑田真澄とともに1990年代の巨人投手陣を支えた「三本柱」の一人。最多勝5回、沢村賞3回と、一時代を築いた90年代の球界を代表する大エースだった。

 特に右打者に対する外角へのスライダーで空振り三振を取る姿は、多くのファンを魅了した。通算180勝と、200勝の大台には届かなかったものの、その投球は今でも語り継がれている。

 そんな斎藤の印象に残る名場面を振り返り、改めて殿堂入りを称えたい。

◎「ミスター完投」、NPB記録の11試合連続完投勝利

 プロ3年目の1985年に12勝を挙げて脚光を浴びた斎藤。その後の3年間は伸び悩んだ時期となったものの1989年、サイドスロー転向のきっかけを作った藤田元司監督が復帰すると、開幕から先発ローテーションに入る。

 ターニングポイントとなったのは5月10日。横浜スタジアムでの大洋戦。7回まで好投を続けてきた斎藤は8回に1点差に迫られ、なおも1死満塁のピンチを迎える。

 この場面で藤田監督はベンチから動かず、斎藤に運命を託した。斎藤はこのピンチを併殺打で切り抜けると、最終回を0点に抑えて3勝目をマーク。この一戦で自信をつけた斎藤は、完投勝利を重ね、5月30日の大洋戦から3試合連続完封と圧巻の投球を見せる。

 そして7月15日、本拠地・東京ドームでのヤクルト戦。斎藤は完封勝利し、鈴木啓示(元近鉄)の持つNPB記録を塗り替える11試合連続完投勝利を樹立した。

 この年は20勝を挙げ、8年ぶりの日本一に大きく貢献。巨人のエースとして認められることとなった。

◎「国民的行事」10・8で力投!

 斎藤が巨人のエースとしての矜持を見せたのが、「国民的行事」と長嶋茂雄監督が表現した1994年10月8日の中日戦だった。

 どちらもシーズン最終戦、そして勝てばリーグ優勝という大一番。巨人は先発・槙原が2回途中で降板すると、2日前のヤクルト戦で先発した斎藤を投入する。

 無死一、二塁の場面でマウンドへ上がった斎藤は、見事なフィールディングで今中慎二のバントを処理し三塁封殺。後続も抑えてピンチを脱する。

 すると直後の3回表に落合博満のタイムリーで巨人が勝ち越し。さらに4回、5回と追加点を奪っていく。打線の援護を受けた斎藤は、右足内転筋の痛みに耐えながらマウンドに立ち続け、6回まで1失点に抑える。流れを引き寄せる好投で3番手の桑田にバトンを渡す。

 その後、桑田が無失点に抑え、6-3で巨人が勝利。三本柱による投手リレーで、巨人がリーグ優勝を決めた。同時に斎藤は勝利投手となり14勝目を挙げた。

◎これぞエース! 3年連続の開幕戦完封

 斎藤は現役時代、エースの証明といえる開幕投手を、5年連続を含む6度も務めた。

 なかでも圧巻だったのは1994年から1996年にかけての3年連続開幕戦完封勝利。1994年は苦手としている広島戦での登板だったものの、プロ2年目の3番・松井秀喜が2本塁打。そして、FAで移籍してきた4番・落合博満も本塁打を放つ。11点を奪い、十分に援護すると、斎藤は広島打線に付け入る隙を与えないピッチングで応える。いま思い返すと、華々しい記録を飾るにふさわしい、見事な試合だった。

 翌1995年の対戦相手はヤクルト。さらに磨きをかけた投球で3安打に封じ、2-0で2年連続完封勝利を収める。そして1996年、得意とする阪神との開幕戦に臨んだ斎藤は、更に完璧なピッチングを披露した。打者27人に対してわずか1安打に抑え、あわや完全試合という投球内容で3年連続完封勝利を成し遂げた。

 1993年の開幕戦では7回2失点で勝利投手となっているため、開幕戦では4年連続で白星と、無類の強さを発揮した。

 続く1997年も開幕投手を任された斎藤だったが、ヤクルト・小早川毅彦に1試合3本塁打を許して敗戦投手となり、開幕戦の完封記録がストップしてしまった。さらに前年まで2年連続最多勝に輝いていたものの、開幕戦の敗戦が尾を引いたのかどうかは定かではないが、ケガも重なってシーズンで6勝しかできなかった。

 1998年に10勝をあげ、もう一度、花を咲かせたものの、衰えは隠せず。打ち立てた記録のスゴさと、記録が止まってから引退に向かっていった悲哀が相まって、引退して15年が経った今でも「開幕戦=斎藤雅樹」という印象は、30代、40代を中心に多くの人に強く残っているだろう。そんな斎藤は、2月18日で51歳を迎える。(『週刊野球太郎』編集部)

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