清原容疑者 桑田氏は「特別な存在」絶縁しながらも尊敬と感謝

[ 2016年2月6日 10:05 ]

12年にCMで初共演し握手を交わす桑田氏(左)と清原容疑者

 覚せい剤所持容疑で逮捕された清原和博容疑者(48)は「KKコンビ」と呼ばれ甲子園でともに旋風を巻き起こした桑田真澄氏(47=野球評論家)と3年前から絶縁していた。薬物疑惑が出るたびに更生を促す桑田氏を自ら遠ざけた。しかし、警察の捜査の手が及んでいることを知った昨年8月、清原容疑者はスポニチ本紙に「桑田とは連絡してませんが僕にとっては特別な存在です。アイツがいなかったら僕はいない」と思いを明かしていた。

 薬物疑惑真っただ中の昨年8月末。薬物の影響か、マスコミへの強い警戒心からか、清原容疑者の口は重かった。親しかった友人や知人が次々と離れていき「そんなもんかと…」と、深い孤独感にタメ息が漏れた。

 「桑田さんとは?」と水を向けると「いや、全く」。ずっと連絡を取っていないことを明かした上で「桑田は僕にとって特別ですから。電話するとかしないとか…そんなのなくても、僕にとっては変わらないですから。アイツがいなかったら、その後の僕はいなかった」と、強い思いを次々と口にした。

 「桑田はホントの天才ですよ。僕も中学でピッチャーやってましたが、入部してすぐ遠投を見て、これは(投手として)かなわないと。僕は甲子園で(最多記録の)13本のホームラン打たせてもらいましたけど、桑田のおかげ(で打者に専念したため)ですよ」とした。

 「背筋がゾッとした思い出」と明かしたのがブルペン。「いろんな球種を投げているのに、なんで試合で投げない?と聞いたら“高校時代を直球とカーブで抑えられないようじゃプロでは通用しない”と。今からそんなこと考えているのかと。桑田がいなかったら天狗(てんぐ)になっていたと思う」

 1年生の夏、桑田は強打の池田高を完封し、打者としても甲子園で一度も本塁打を打たれていなかった水野雄仁投手の球をレフトスタンドへ放り込んだ。「僕は4三振。何とか決勝で1本打ったけど、桑田は1年生で2本打ちました。4月1日生まれ(の早生まれ)でしょ。15歳と16歳じゃ全然ちゃいますから」

 自身の甲子園初本塁打はライト方向。プロ入り後「芸術的右打ち」と言われた原点。その打法が生まれたワケを聞くと「生きるためでした」と明かした。

 厳格な上下関係があった当時のPL学園野球部。練習であまり目立つと、厳しい寮生活がさらにつらくなる。1年生で4番を張った“怪物”だからこその苦労。「ライト方向へのヒットならと練習した。それが自分の武器になるとは当時は思いもしませんでした」

 盟友との絆を引き裂かれた伝説のドラフトもあった。薬物疑惑の中、親しげに近寄っていた仲間たちはいなくなり、小姑(こじゅうと)のように更生を促す桑田氏の存在を、また強く感じていたのか。清原容疑者は「当時の僕は桑田がいたから、アイツが後ろ(5番)にいたから孤独感は一切なかった」と強調した。

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