清原容疑者 母の喜ぶ顔が生きがいのはずが…西武入団時の担当記者回想

[ 2016年2月5日 13:18 ]

取り調べを終え警視庁に戻る清原容疑者

 覚せい剤所持容疑で逮捕された清原和博容疑者(48)。西武入団時のスポニチ担当記者が逮捕を受けて現在の思いとあの頃の天才打者の秘話をつづった。

 清原が西武の合宿所を出て一人暮らしを始めたときは岸和田から母・弘子さんが飛行機と電車を乗り継いで田無市(現西東京市)のマンションまで通った。食事を作り、いつも活躍を祈っていた。巨人に移籍したあとも都内のマンションに通い息子のために支えた。西武とは違いプレッシャーは半端ではなかった。清原容疑者もそうだが弘子さんも同じ。だからテレビ中継は見ず夜食の準備に没頭した。知人から活躍したと知らされると安心してスポーツニュースを見る毎日だった。

 オリックスで引退を決めたとき家族で墓参りに出掛けた。寺の前で車を降り、弘子さんをおぶって歩いた。「引退するよ」。背中の母に言った瞬間、母子は歩きながら泣いた。高校からプロ野球と気の休まる日がなかった母は安どと寂しさが交じった涙、清原容疑者は感謝の涙。ドラフトのとき、巨人が桑田投手を指名して泣いた息子に「あんたが勝手に(巨人に)恋して振られたんやないの」と言って叱咤(しった)した母。これほどの絆で結ばれ、母の喜ぶ顔を生きがいにしてきたのに、どこで変わってしまったのか。

 巨人では外様の悲哀を味わった。ある選手の引退パーティーで、清原容疑者には声はかからなかった。一緒に戦った仲間という自負が一気に崩れた。「外から見てた巨人と中に入った巨人は大違いやった」と久しぶりに会ったパーティーでつぶやいた。巨人では打たなければ叩かれる。かつて経験したことのない重圧に“被害者意識”は膨らんでいった。外国人に負けたくないと体を大きくして、逆に体への負担も大きくなった。膝の故障で痛み止めなど薬を飲み過ぎて内臓を痛め満身創痍(そうい)という話も他球団の選手から聞いた。高校時代からの別格な成績から清原容疑者の言動に意見する人もほとんどいない。知らぬ間に孤独になっていったことは想像できる。離婚も要因の一つだろう。自分の弱さと“番長”といわれた豪快さのギャップ。周囲には野球の世界とはほど遠い人たちが集まっていったのは想像に難くない。

 体に入れ墨をした瞬間から野球界への復帰は断たれた。それすら本人は理解できなかったのか。そして覚せい剤所持。これでタレントとしても使えないだろう。最愛の子供にも顔向けできない。今後どうするのか。身から出たさびといってしまえばそれまでだが、逮捕されたことを逆によかったと反省し、もう一度自分を見つめ直してほしい。清原容疑者と同学年の佐々木主浩氏が寂しさと無念さを含めて「ぶん殴ってやりたい」と言った気持ちがよく分かる。(特別編集委員 落合紳哉)

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2016年2月5日のニュース