釜石 義足の左腕 夢のマウンドへ 登板すれば史上初

[ 2016年1月30日 05:30 ]

義足の右足を踏ん張りシャドーピッチングをする釜石・沢田

 第88回選抜高校野球大会(3月20日から12日間、甲子園)の出場校を決める選考委員会が29日、大阪市の毎日新聞大阪本社で開かれ、釜石(岩手)が11年の東日本大震災後に同県から初めて21世紀枠で選出された。右足に義足をつけてプレーする沢田一輝投手(2年)は、障がいを乗り越えて昨秋からベンチ入り。義足をつけた投手が甲子園で登板すれば初となる。沢田は全力プレーで被災地に勇気を届けることを誓った。組み合わせ抽選会は3月11日に行われる。

 気温0度の釜石に待ち望んだ切符が届いた。午後3時すぎ。釜石南時代の96年以来、20年ぶりとなるセンバツ出場が決まるとナインは校舎前で肩を抱き寄せ合い、喜びに沸いた。沢田は「強豪校に臆することなく勝ち上がって、被災して苦しんでいる人の心の糧になれれば」と語った。

 右足に先天性の障がいがあり、2歳で膝から下に義足をつけた。右手の指も生まれつき4本。野球は釜石小5年から始めた。左投げ左打ちで「障がいは言い訳にならない」と弱音は吐かず、他の選手と一緒に練習をこなす。昨秋は一塁手としてベンチ入りし、この冬から投手に転向した。

 サイドスローでカーブやシンカー、カットボールなど多彩な変化球を操る。佐々木偉彦監督は「手先が器用。強打者へのワンポイントの救援で使いたい」と期待する。釜石工出身の父・祐一さん(45)は88年夏の岩手大会決勝で高田に敗れ、あと一歩で甲子園出場を逃した。沢田は「父のかなえられなかった夢を引き継いで出場できてうれしい。大観衆の中で投げて活躍したい」と聖地のマウンドを思い描く。

 震災から5年。当時は小学6年で同級生に高台までおぶってもらい九死に一生を得た。現在も仮設住宅暮らし。壊滅的な被害を受けた大槌町の祖父は家ごと津波で流され亡くなった。「おじいちゃんも見ててくれると思う。成長した姿を見せたい」と力を込める。

 03年夏に愛媛・今治西の曽我健太選手が義足のハンデを乗り越え注目された。「曽我さんの映像を見て励みになった。今度は自分が同じような子に勇気や希望を与えたい」。義足をつけた投手の甲子園登板は過去ない。憧れのマウンドに立ち釜石を聖地初勝利に導く。沢田の思いはこの日さらに強くなった。 (青木 貴紀)

 ≪今治西03年夏に三塁手で出場≫03年夏に出場した愛媛・今治西の曽我健太選手は5歳の時に左足首から下を事故で切断し左足の膝下が義足だった。大会では初の義足甲子園球児として注目を集め、日大東北(福島)との1回戦は「6番・三塁」で先発し、3打数無安打も2度の守備機会をこなし、6―0で快勝。倉敷工(岡山)との2回戦も「6番・三塁」で出場し、第2打席で左前打を放ち、3打数1安打。2度の守備機会をこなしたが、3―4で惜敗。攻守にはつらつとしたプレーで大観衆を魅了した。

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