【レジェンドの決断 谷繁元信1】監督だったからこそ下せた最良の決断

[ 2016年1月28日 10:30 ]

昨年7月28日の阪神戦、史上1位3018試合出場となった谷繁兼任監督は感慨深げにグラウンドを触る

 一度もユニホームを脱いでいないから、だろうか。3021試合出場、2922試合捕手出場、27年連続安打&本塁打というプロ野球記録を残しての現役引退。谷繁は、歩んできた球史の重みについて「いまだに実感がないんだよ」と笑う。

 「周りの人が何を評価してくれているのかが分からない。僕が3000試合出たからか、安打を2000本打ったからなのか、純粋に捕手・谷繁を評価してくれているのか。ここまでやってきた自信はあるけど、それを振りかざして何になるの?という思いはある」

 選手・谷繁の看板を下ろしても、監督として中日の強化に知恵を絞る日々。自身のキャリアをゆっくり振り返っている暇などない。27年間に及んだ現役生活を終える決断も、意外なほどあっさりと下せたという。

 「悩みはなかった。試合でのプレーよりも、普段の練習で、15年のシーズンに向けた自主トレぐらいから“キツイな”と感じていた。自分の思い描いたボールを投げられないとか、ちょっとしたことでケガをしたりとかね」

 自分の出場の是非を自分が決める、プレーイングマネジャーという特殊な立場にあった。捕手の後継者が頭角を現しておらず、周囲から「まだやれたのではないか」という声も聞こえてきた。だが、チームの今後も考えた上で最良の判断だったと確信する。

 「1年間で20、30試合でいいのならできるかもしれない。でもやっぱりレギュラーとして毎年100試合以上は出てきた人間からすると、それはキツイという気持ちがあった。俺が監督で、今の捕手・谷繁を20、30試合出すんだったら、若いヤツを使うね」

 口には出さないが、決断の一助となったであろうメモリアルを昨季に刻んだ。7月28日、ナゴヤドームでの阪神戦に「8番・捕手」で先発。3018試合目の出場で、南海(現ソフトバンク)などで活躍した名捕手・野村克也が残した3017試合のプロ野球最多出場記録を塗り替えた。記録にこだわるタイプではないが、生来の負けず嫌い。「何かで1番になれるチャンスがあるのならなりたい」という思いは強く持っていた。決して大柄ではなく強打でも俊足でもない。そんな男がレジェンドと呼ばれるまでになれたのは、どんな時でも試合に出続けた強じんな肉体と精神のたまものだった。 (山添 晴治)

 ◆谷繁 元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日生まれ、広島県出身の45歳。江の川(現石見智翠館)から88年ドラフト1位で大洋(のちの横浜、現DeNA)に入団。98年に横浜の38年ぶりの日本一に貢献した。01年オフにFA権を行使して中日へ移籍。4度のリーグ制覇を支えた。13年5月に通算2000安打を達成。14年から選手兼任監督、今季から監督専任となった。通算3021試合出場はプロ野球記録。打率・240、229本塁打、1040打点。1メートル76、81キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

2016年1月28日のニュース