【レジェンドの決断 井端弘和1】“由伸が辞めるなら俺も”友情貫いた

[ 2016年1月26日 11:30 ]

芸術的な守備でファンを魅了した井端

 突然の引退会見だった。昨年10月24日。土曜日の昼下がり。通常、土日、祝日は閉まっている読売本社内の記者室が開放された。井端の現役引退会見が始まった。晴れやかな表情。その口から語られた引退の理由は、親友への思いだった。

 「ずっと、由伸を追いかけてきたし、由伸より長く現役をやるという考えはなかった。“由伸が辞めるなら俺も”と思っていた」。前日、同い年の高橋由の現役引退と監督就任が発表された。その夜、携帯電話が鳴った。「監督を引き受けることに決めた。辞めるから」「そうか。お疲れさま」。わずかな沈黙が流れた。短い言葉に込められた高橋由の覚悟を感じ取った。同期で学生時代からのスーパースター。電話を切ると、引退を決意した。通算2000安打まであと88本だったが、現役への未練も断ち切った。家族に思いを告げ、球団に伝えた。関係者から「もったいない。まだ(現役を)やれるのに」と惜しむ声も掛けられたが、会見でも明かした「由伸愛」を貫いた。

 亜大から97年ドラフト5位で中日に入団。1年目に18試合に出場したものの、2年目は2軍生活が続いた。「一生懸命やっていたけど、下位指名だから即戦力ではないと思っていた」。転機は3年目に訪れた。前年オフ、同期入団で同じ大卒だった左腕・白坂が戦力外通告を受けていた。

 「来年1軍に行けなかったら、自分もクビだ」。現実を目の当たりにし、芽生えた危機感。「小さい頃からやってきたのが守り。こうなったら、それを思い切ってやろうと思った」と力に変えた。堅実な守備が首脳陣に評価され、92試合に出場。球界を代表する遊撃手へ成長する足掛かりのシーズンとなった。

 04年から6年連続でゴールデングラブ賞を獲得。5度のベストナインにも選ばれた。順風満帆な野球人生が大きく狂ったのは10年だった。6月、急に右目の視力が1・2から0・04まで落ちた。日中は日差しがまぶしくて目を開くこともできない。後で判明したが、ウイルスによる感染症だった。当時は原因が分からず、北海道から九州、四国まで病院を回った。

 「勧められたものはどこでも行ったし、何でもやった」。気功にも手を出したが、症状は改善されない。飲み薬を2、3種類、目薬は1日5、6回は差した。症状は徐々に緩和されたが、ウイルスに合致する薬、適切な服用量を探しながら、約4年間、薬が手放せなかった。片目だけコンタクトをはめてプレーしたが「どうしても遠近感がつかめなかった」という。(川手 達矢)

 ◆井端 弘和(いばた・ひろかず)1975年(昭50)5月12日、神奈川県生まれの40歳。堀越から亜大を経て、97年ドラフト5位で中日に入団。01年からレギュラーに定着し、遊撃手としてベストナイン5度、ゴールデングラブ賞7度など堅い守備を武器に活躍。13年のWBCではDH部門の優秀選手に輝いた。同年オフに中日を退団し、巨人に移籍。通算成績は1896試合に出場し、打率・281、56本塁打、510打点、149盗塁。1メートル73、73キロ。右投げ右打ち。

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2016年1月26日のニュース