【レジェンドの決断 木佐貫洋2】「桑田さんが校長、上原さんが担任」

[ 2016年1月20日 10:35 ]

巨人時代、打撃練習をする投手陣。(左から)上原、桑田、柏田、河原、木佐貫、久保

 スカウトとして歩み始めた第二の野球人生。舞台は「プロ野球人・木佐貫」の原点でもある巨人だ。松坂世代の一人として、02年ドラフトの自由獲得枠で入団した。プロ生活で最も印象に残っているのは1年目だという。その中でも初登板の03年3月30日の中日戦(東京ドーム)で1回1/3、5失点KOされた試合だ。

 「ボコボコでしたから。洗礼というか、プロは甘くないよと思い知らされた。とんでもない世界だなとショックだった」

 即戦力として入団した木佐貫は、先発ローテーション入りへ必死にアピールした。3月のオープン戦では当時の原監督から「MVP」として全選手の前で表彰された。「木佐貫、お前さんはオープン戦で良い成績を残したから開幕3戦目の先発だ!」。開幕カードでデビュー戦の舞台が用意されたのだ。だが、結果は2回持たずKO。そこから3試合、勝つことができなかった。

 そんなときに声をかけてくれた先輩がいた。一人は17年目の桑田真澄だ。落ち込んでランニングをしていると桑田が優しい口調で語りかけた。「雨の日があるから、晴れている日に太陽の暖かさをありがたく感じる。今は雨の日。物事には二面性があるからその悔しい気持ちを大事にした方が良いよ」。ベテラン右腕にプロとしての考え方を教わった。

 そしてもう一人は上原浩治(現レッドソックス)。「今の若い連中は全然練習をせえへん。お前は亜細亜大の流れでよく練習している。今までやってきたスタイルやからそれを崩すなよ」と、食事の席で熱く語りかけられた。上原は、誰よりも練習に打ち込む姿を見ていた。だからこそ、その言葉の重みを感じた。

 「桑田さんが校長先生で、上原さんが担任の先生という感じ。2人の言葉は特に印象に残っている」と木佐貫。2人との出会いがあったから「とんでもない世界」というプロ野球で13年間、投げ続けることができた。

 巨人から始まったプロ野球人生。オリックス―日本ハムを経て、再び古巣に戻ってきた。現在は新米スカウトとして関係先へのあいさつ回りに忙しい日々を送っている。「今はとにかく覚えることだらけで必死」と笑う。今後の目標はプロの世界へ導いてくれた当時の担当・河埜和正氏のようなスカウトになることだという。「いつも球場に来て見守ってくれていた。僕も現場に足を運ぶようにしないと」。その声は弾んでいた。(中村 文香)

続きを表示

2016年1月20日のニュース