【レジェンドの決断 金城龍彦2】3軍選手にハングリー精神を

[ 2016年1月13日 11:05 ]

15年4月15日、古巣のDeNA戦で決勝本塁打を放った金城

 昨季限りで現役引退した金城は巨人の3軍打撃コーチに就任した。今年から新設された3軍は大半が育成契約で3桁の背番号を背負う。自身について「俺なんて別にたいした選手じゃないから」と謙遜しながら、指導者として目を輝かせる。若い選手の潜在能力を引き出したい。その思いが言葉からあふれていた。

 「いい選手が多いよ。見ていて凄く楽しみだし、練習を見てても“おっ”と感じさせてくれる」。うれしそうに話し、こう続けた。「大事なのは上に上がりたい、1軍で活躍したいという強い気持ちだと思う」。誰にも負けないハングリー精神を持つことが、プロでの成功につながる。自身の体験によるものだった。

 2年目の00年に打率・346で首位打者を獲得したが、翌01年は他球団に研究され、・271まで下げた。オフに減量を試みて82キロから78キロまで落としたが、02年は・170とさらに成績を下げてしまった。本塁打は一本も打てなかった。体を絞ると、筋力は落ちてスイングスピードも落ち、飛距離が伸びない。

 「長打がないから投手に遊ばれている感じがした。このままでは絶対終わりたくないと思った」。闘争心に火がついた。同年オフに82キロに戻し、秋季キャンプでは打撃フォームを一から見直した。翌年から3年連続打率3割以上、5年連続2桁本塁打をマークした。

 最後まで「戦力」になることにもこだわった。14年オフにFA権を行使。プロ入りから16年在籍した横浜・DeNAへの愛着は強かったが、悩んだ末に戦力として必要とされる環境を求めて巨人に移籍した。目を真っ赤にして言った。「野球しかない男。真っすぐな思いを曲げずにやりたい」。巨人に在籍したのは1年。「戦力として獲ってもらったのに貢献できず申し訳ない」と振り返るが、4月15日に古巣のDeNA戦(横浜)で決勝弾を放った。当時の原監督からも野球に取り組む姿勢を「若手の手本になる」と絶賛された。足跡を残したからこそ、指導者の声が掛かった。

 例年ならオフもバットを握りたくなった。だが、引退した今オフはその感情が全く湧かなかったという。「もう気持ちはコーチに切り替わっている。選手の能力も違うし、性格も違う。当然こちらの伝え方も違ってくる。でも1軍で活躍したいという目標は全員が同じ。一人でも多くの選手が1軍のグラウンドに立つ手助けをしたい」。思いを巡らせるのは「戦力」になる選手を育成すること。それが金城龍彦の新たな使命だ。(平尾 類)

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2016年1月13日のニュース