4シーズン1軍登板なし…由規 野球できなくなる「恐怖感」味わった

[ 2016年1月8日 11:00 ]

スリークオーター気味のフォームを試すヤクルト・由規

由規インタビュー(上)

 右肩手術からの復活を目指すヤクルト・由規投手(26)が、今季から育成選手としてスタートを切る。2010年にマークした球速161キロは、日本ハム・大谷が162キロを出すまでの日本人投手最速記録だった。剛腕として鳴らした男はここ4シーズン、1軍登板がない。昨季感じた「恐怖」と今オフの「変化」、そして「飛躍」をテーマに掲げた今季への思いを聞いた。(町田 利衣)

 2月のキャンプで着るユニホームには、新しい背番号「121」がつけられる。エースへの道を進んでいたはずの右腕の再出発――。

 由規は、昨季を「野球をやってきて一番悔しかった」と振り返った。3年ぶりに1軍キャンプに参加し、オープン戦にも登板。しかし、右肩の回復がままならず、4月から4カ月間の離脱を強いられた。4年連続で1軍の舞台に立つことなく終えたシーズン。新たな感情とも闘っていた。

 「今まで好きで野球をやってきたが、もしかしたら野球ができなくなるかもしれないという恐怖感を凄く味わった1年でもあった」

 昨年9月27日、イースタン・リーグのDeNA戦(戸田)で昨季の自身の最終登板を終えると、携帯電話を手に取り兄・史規さん(29)に吐露した。「“11”をつけるのは、きょうで最後かもしれない」。上がらなかった自身の状態とは反対に、チームは14年ぶりのリーグ優勝へ突き進んでいた。「ある意味、自分が投げなくても優勝したことが証明された」。自分の居場所は――。

 精神的要因で体重は5キロ落ち「クビを切られてもおかしくないと思っていた」という中、球団からは育成契約を告げられた。

 育成契約を結ぶ過程ではいったん自由契約となるため、他球団移籍への道を探す選択肢もないわけではない。しかし「このチームでやりたい気持ちが強かった。ファンも含めて、こんなに待ってくれている。もう1年チャンスをもらった」と再び前を向いた。

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