【レジェンドの決断 山本昌1】長寿の秘訣は“幼さ”同じ気持ちで40年

[ 2015年12月10日 11:00 ]

10月7日の広島戦で現役最後の登板を終え、グラウンドに一礼する山本昌

 ユニホームを脱ぎ、初めて積み重ねてきた偉業の凄さを実感した。10月7日の広島戦(マツダ)で中日一筋32年間の現役生活に終止符を打ち、評論家に転身した山本昌投手(50)。その後の約1カ月半で実に50本以上の仕事依頼が殺到し、年中無休で練習していた現役時と変わらない多忙な日々を過ごしている。

 多趣味で知られ、トーク力も抜群。各種メディアから引っ張りだこなのもうなずける。「本当にありがたいことです。野球やスポーツ以外のお仕事を頂いたり。バック・トゥ・ザ・フューチャーとかね」。10月21日のイベントではあの有名映画に登場するタイムマシン「デロリアン」に試乗。競馬のプレゼンターや講演、トークショーなど、テレビ、新聞で姿を見ない日はなかった。

 もちろん、その引き出しの多さは誰よりも長いプロ野球生活のたまものだ。球界初の50歳出場を筆頭に、49歳での白星、45歳での完封勝利、41歳でのノーヒットノーラン…と樹立した最年長記録は数知れず。自称「球界のシーラカンス」は、働くお父さんたちを元気づける「中年の星」として球界の枠を超える存在だった。

 「僕の方こそ励まされた。もし僕の頑張りがそういう人たちの力になるなら、そのためにも頑張ろうとね。年を取ると、若い頃と違って全てを野球にささげないとダメになる。趣味もあるけど、最後の数年間は体のアンテナを全て野球に向けないと、と思っていた」

 ただ一方で、永遠の野球少年のような、ある種の「幼さ」も長寿の秘けつだった。小学3年生で始めてから約40年間、野球を嫌いになったことは一度もないという。

 「もともと子供っぽいところがある。小、中学では補欠だったけど、自分からやめたいと思ったことはない。中学、高校…ドラゴンズも野球部みたいなもの。幸せなのは、小さい頃から50歳になるまで同じ気持ちで野球と向き合えたこと」

 ぎりぎりまで現役続行の可能性を求めたが、和田、谷繁の引退セレモニーが行われたナゴヤドーム最終戦(9月24日)で変わりゆくチームの姿を見て決断。引退会見での「奇跡のような、世界で一番幸せな野球人生」という言葉は、心の底から出た名言だった。(山添 晴治)

 ◆山本昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身の50歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。93年に最多勝と最優秀防御率、94年は最多勝、沢村賞。97年には最多勝、最多奪三振に輝いた。06年9月16日、阪神戦でプロ野球最年長41歳1カ月でのノーヒットノーラン達成。08年8月4日、巨人戦で通算200勝。49歳0カ月で先発した14年9月5日阪神戦でプロ野球最年長勝利記録を樹立した。通算581試合登板で219勝165敗5セーブ、防御率3・45。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。

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