【レジェンドの決断】中日・和田一浩 ギリギリまで長男に伝えられず…

[ 2015年12月3日 08:25 ]

今季ナゴヤドーム最終戦で家族と笑顔を見せる和田。左から4人目が長男の壮多朗君

 9月3日。DeNA戦の試合前だった。和田は、落合博満ゼネラルマネジャーからナゴヤドーム内の一室に呼ばれた。

 「来季、契約しないから」――。そう、はっきりと告げられた。「分かりました。少し考えさせてください」。その場ではそう返答した。しかし、心の中では既に答えは決まっていた。

 「FAで中日に来た時から、ここで辞めるという覚悟でいたから」。まだ来季もプレーできる。正直、和田はそう思っていた。20年目となるシーズンへ、もう一度体をつくり直そうと、オフの自主トレのプランも思い描いていた。一方で、他球団で現役を続行するという選択肢はどこにもなかった。岐阜県出身。地元といってもいい中日には、特別な思いがあった。

 絵美子夫人(35)にはその夜、思いを伝えた。「家族は、もうちょっと現役をやってほしかったんだと思う。特に長男には言いづらかった。寂しい思いをさせるなあ…と」。長男・壮多朗君は11歳。かつての父親と同じ、捕手として少年野球でプレーしている。和田は発表寸前、ギリギリまで伝えられなかった。パパは、憧れの野球選手なのだから。そんな和田自身にも、かつて憧れる存在のプレーヤーがいた。

 「中尾さんが格好いいな、と思っていた。僕も(小3で)野球を始めた時から、ずっと捕手だったので」。中日の正捕手だった中尾孝義(現阪神スカウト)。その姿を、岐阜に住む和田少年は追いかけた。県岐阜商―東北福祉大―神戸製鋼と捕手としてプレー。97年に西武に入団したが、そこには大きな壁が立ちはだかっていた。伊東勤(現ロッテ監督)。チームの黄金時代を支えた、絶対的な存在がいた。

 「この人を抜くにはどうすればいいのか。実力不足、力の差を感じていた」。転機がやってきたのは01年の秋季キャンプ。当時の伊原春樹監督から外野手転向を打診された。「未練はいっぱい。ショックも、抵抗もあった」。捕手への強いこだわり。その一方で、試合に出場したいとの渇望もあった。当時、29歳。ここから野球人生が大きく変わった。翌02年、30歳にして初めて規定打席に到達。「野手転向で、この年まで野球ができた。いろんな意味でプラスになった」。愛する捕手との別れ。それは、新たな野球人生のスタートでもあった。(鈴木 勝巳)

 ◆和田 一浩(わだ・かずひろ)1972年(昭47)6月19日、岐阜県生まれの43歳。県岐阜商では2年春夏の甲子園に出場。東北福祉大、神戸製鋼を経て96年ドラフト4位で西武に入団。08年にFAで中日に移籍した。今年6月11日のロッテ戦で、プロ野球史上最年長の42歳11カ月で通算2000安打を達成。05年に首位打者、最多安打。10年MVPなどのタイトルを獲得した。ベストナイン6度。通算成績は1968試合で2050安打、319本塁打、1081打点、打率・303。1メートル82、90キロ、右投げ右打ち。

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