松原さんの夢「野球版天皇杯」いつかきっと 古田氏遺志継ぐ

[ 2015年12月1日 05:30 ]

松原さんの祭壇を前に弔辞を述べる古田氏

 日本プロ野球選手会の事務局長を長年務め、今年9月にぼうこうがんのため急逝した松原徹氏(享年58)をしのぶ会が都内のホテルで行われ、プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーや日本高校野球連盟の田名部和裕理事ら約700人が別れを惜しんだ。

 親交の厚かった元ヤクルト監督の古田敦也氏は弔辞に立ち、「常に球界発展のためのアイデアを出していただいた」と涙で声を詰まらせた。04年の球界再編騒動時に労組の会長だった古田氏は、プロ野球史上初のストライキを敢行した当時を「球界の未来、子供たちのことも考え、何が正しい道なのか2人で話し合った」と振り返った。経営陣との話し合いの中で、シーズン中の選手が交渉の席に着かなければいけない状況に松原氏が怒りをぶつける場面もあったという。

 「選手を一人にしない」が信念で、代理人制度やフリーエージェント(FA)制度の導入に尽力。人懐っこい笑顔と粘り強さでアマチュア球界との関係改善にも力を尽くした。古田氏が亡くなる1週間前に面会した際も「せっかくアマとプロが雪解けしたんだから新しいことをやりたいね。サッカーの天皇杯みたいなのできないかな」と夢を語っていたという。古田氏は「(高校、大学、社会人、プロが一つのトーナメントを戦う)夢の舞台になる。その遺志を継いでそれを実現することもある」と実現へ尽力を約束した。

 ▼熊崎勝彦コミッショナー 野球界をより良くすることを真剣に考えていた。お互いの理解を深めていたところだった。残念です。

 ▼日本高校野球連盟・田名部和裕理事 アマとプロの相互連携の基盤をつくってくれた方でした。こんなに早くお別れするとは信じられません。

 ▼一般社団法人日本プロ野球選手会・東出輝裕理事長 豪快で親分肌の人。選手会だけじゃなく球団、お互いの立場を考えていた。交渉でも勝った負けたじゃなく、全体のことを考えていた。

 ▼日本ハム・栗山英樹監督 シンポジウムの夢の向こうにでずっと一緒にやってきた。ただただ感謝しかない。笑顔の遺影が“球界のために、やることは分かってますね”と語り掛けているようだった。

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