由伸監督 天才ゆえの苦悩 ここ数年「頭の片隅にいつも“引退”あった」

[ 2015年12月1日 11:50 ]

130試合に出場し「復活」と称された高橋由(右)の12年シーズンだったが…左は高木京

 ソフトバンクが日本一連覇を達成し、迎えた今オフ。プロ野球で一時代を築いたベテラン選手が相次いでユニホームを脱いだ。記録にも、記憶にも残る選手らが現役引退を決断するまでの苦悩や決断の理由とは――。第1回は巨人の高橋由伸新監督(40)。原辰徳前監督の辞任に伴い、18年間の現役生活に別れを告げて長嶋茂雄以来の引退即監督に就任した。12球団最年少の青年監督誕生に迫った。

 10月20日の午前中。都内の自宅にいた高橋由の携帯電話が鳴った。球団幹部から「監督就任要請のため、午後に都内ホテルで会談したい」というものだった。電話を切った高橋由と、横にいた麻衣夫人との間に会話はなかったが、目を合わせ、お互いに軽くうなずいた。想定内の出来事だったからである。

 この日朝、スポーツ各紙の1面には「巨人次期監督、高橋由最有力」などの見出しが躍っていた。テレビの情報番組でも取り上げられ、ネットでもトップニュースで扱われた。自宅前には早朝から報道陣が集結。その状況から予想はしていた。

 球団との会談では、監督に就任するなら「選手兼任」はないことで両者一致。それはそのまま18年間に及んだ現役引退を意味した。球団内では「まだ選手でやれる」「もったいない」の声もあった。今季代打での打率は・395。それでも40歳は「(現役への)未練は全くなかった」と言う。それは「ここ数年、頭の片隅にいつも、“引退”があった」からだった。

 持病の腰痛との闘い。手術から3年が経過した12年。術後最多の130試合に出場し、中日とのCSファイナルSでは全試合にスタメン出場した。日本ハムとの日本シリーズは負傷した阿部に代わって第4戦で4番も務め、3年ぶりの日本一に貢献。「復活」と称されたが、高橋由自身は大きな違和感を覚えていた。その年のオフに開かれた食事会では「復活」を祝福した関係者の言葉を制し、こう漏らした。

 「若い時はこのくらいやっていたからさ」。右手は頭の位置にあった。「それが今は試合に出たといっても途中で交代したり、途中から出たり。数字もこんなに低いし」。そう言って右手を一気に胸の下まで下げた。

 天才打者と呼ばれた男の苦悩でもあった。東京六大学野球のスーパースターとして鳴り物入りで巨人入団。プロ1年目からレギュラーを獲得し、松井秀喜や清原和博らとクリーンアップを組んだ時のような輝きはない。最初から最後まで試合に出たくても、それがかなわない。翌13年は左ふくらはぎの肉離れで長期離脱。68試合の出場で10本塁打を放ったが「引退」と背中合わせの日々は続いていた。(川手 達矢)

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