巨人で開幕投手から4年 打撃投手になった東野の色あせぬ野球愛

[ 2015年11月30日 08:30 ]

DeNAの東野打撃投手

 鹿児島・奄美大島で行われたDeNAの秋季キャンプ。今季まで背負っていた背番号「00」で黙々と打者に投げ続ける東野峻打撃投手(29)の姿があった。「難しいですよ。今までみたいに打者を抑える投球じゃない。気持ちよく打ってもらうため、機械みたいにストライクを投げ続けないといけないんで」。

 今季限りで現役引退。栄光と挫折を経験したプロ11年間の野球人生は濃い。鉾田一高から巨人に2004年ドラフト7位で入団。10年にチームトップの13勝、11年には開幕投手を務めた。だが、この後は輝きを失う。12年は1試合登板のみで同年オフにオリックスへトレード。14年に戦力外通告を受け、合同トライアウトを受けた。「ないのはFAだけ。本当にいろいろな経験をしたと思う」と振り返る。

 記者は10、11年の2年間、巨人担当で取材した。ひたむきで慢心しない性格。主力になっても、取材に対して物腰柔らかく真摯に対応してくれた。巨人のエースと期待された11年からわずか4年後。DeNA担当で現役引退を報道することを想像もできなかった。「てんぐになった時期もあった。グラブを叩きつけたり、マウンドでイライラしたり。そのエネルギーを打者に使わなきゃいけなかった。あとは言い訳になるけど肩と首ですね…」と振り返る。

 故障と闘い続けた野球人生だった。巨人入団2年目に右肩痛を発症。首脳陣の勧めでサイドスローに転向したが結果が出ない。イースタンの試合でスタンドから「給料泥棒!」とヤジが飛ぶ。引退して大学に通って教職を取る選択肢が脳裏に浮かんだが、尊敬する先輩の一言で目が覚めた。「木佐貫さんに“この世界は辞めたくなくても辞めさせられる。あきらめるな”って言われて。優しい木佐貫さんが怒ったことに驚いた。変わらなきゃと思った」と逆境からはい上がった。

 苦しんだのは右肩痛だけではない。オリックスに移籍2年目の14年3月。「首が動かなくて起き上がれなかった。今まで経験がない痛みだった」と振り返る。重度の頸椎(けいつい)ヘルニアだった。2週間は寝たきりに近い生活。だが、結果が求められる立場で弱音は吐けなかった。キャッチボールを再開したが左半身にまひが残っているため、捕ったはずの球をグラブではじいてあぜんとした。「試合も首が動かないから走者をけん制できない。体もどんどん開いてフォームもおかしくなる。情けないけど、つらくて酒に逃げた時もあった」

 オリックスから同年オフに戦力外通告を受け、DeNAに入団した今季は3試合の登板のみ。「肩、首が限界だった。でも支えてくれた方たちを裏切れない」と早朝からベイスターズ球場に姿を現してアーリーワークを欠かさなかった。球団フロントは東野の野球に取り組む姿勢を評価。在籍1年で異例だが、打撃投手のポストを用意した。

 入団以来、右肩に打ち続けた痛み止めの注射は200本を超えた。今も痛みは引かない。だが、第二の人生も裏方で投げ続ける道を選択した。「野球ばかですから。DeNAに感謝の思いしかありません。ずっと野球に携わりたいんです」。輝いた時期も、もがき苦しんだ時期も全てが財産。野球を愛する純粋な気持ちは、色あせない。(平尾 類)

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2015年11月30日のニュース