島岡御大の思い今でも、40年以上続く明大と東大の“つながり”とは

[ 2015年11月22日 19:45 ]

明大と東大の4年生による「親睦試合&懇親会」。後列右から4人目が阪神ドラフト1位の高山、中列右から6人目が同2位の坂本

 大学野球はリーグ戦、神宮野球大会も終わり4年生は引退。そんな中、22日に東京・府中市の明大グラウンドで明大―東大の4年生による「親睦試合&懇親会」が開催された。

 御大として親しまれた島岡吉郎監督時代に始まった東大とのイベント。1970年代には行われていたから40年以上続く秋の“恒例行事”。例年明大が東大を招待して開催している。六大学のリーグ戦では私語も許さない真剣勝負だが、軟式ボールを使っての親睦ゲーム。女子マネがひしゃくを持って代打で登場すれば、デッドボールには両軍がマウンド付近に集まって“乱闘”まで演出と、リーグ戦では決して見られない爆笑のオンパレードとなった。

 夕方からは合宿所で明大・善波達也、東大・浜田一志両監督に両チームの4年生が参加しての懇親会。上原は入団する日本ハムの関係で欠席したが、神宮での思い出に話が弾み阪神のドラフト1位高山、同2位の坂本には東大ナインからエールが送られた。

 六大学のチーム同士がオープン戦をするのは基本的に禁止。どうして明大と東大は懇親会を開くのか。これは島岡御大の遠大な計算があってスタートした。「帝大(御大は東大をこう呼んだ)の選手はな、いずれ一流企業に入って出世する。そして人事を握る。いつウチの選手がお世話になるかわからん」と話したという。毎年、自ら企業を回って就職をお願いし、しかも控え選手や裏方を優先した。“きのうの敵はきょうの友”ではないが、将来を見据えての東大作戦。東大の選手たちがどう感じたかは別にして、当時の東大ナインの中に“島岡ファン”が数多くいたのは事実。グラウンドでは「死んでも塁に出ろ!」「なんとかせい!」と鉄拳制裁辞さずの人が懇親会では最後に自ら歌を披露する。これには東大4年生が大喜び。人心掌握術は一級品だった。

 その思いが御大亡きあとも続いている。監督交代やチーム事情で中断した年はあったが、復活して今も続く。だから同期の明大と東大の選手は社会人になっても仲がいい。2年前、東京の安田学園がセンバツの出場を決めた。明大出身の森泉弘監督(60)の激励会を開催したら同期の東大OBも多数参加。甲子園にも応援に駆けつけた。

 就職等で世話になったかどうかは知るよしもないが、東大との交流は卒業してからも続く。両軍4年生もこの日の野球、懇親会を経て先輩たちと同じように仲間になっていく。笑顔あふれる野球を、球場左翼後方に建つ島岡監督の胸像が温かく見守っているように見えた。

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2015年11月22日のニュース