“ご利益”あった富士山頂のお守り 3度目は原さんと一緒に

[ 2015年10月23日 08:45 ]

退任会見で笑顔を見せ質問に答える原監督

 気温1度。めまいや吐き気を感じながら、それでも感動したのを覚えている。2008年8月8日。前夜から人生の目標だった富士登山に挑戦し、高山病に苦しみながらも頂上で御来光を見た。末広がりの「八」が並ぶ縁起がいい日。ふと思った。「原監督にお土産を買おう」。8は現役時代の背番号で当時88。頂上限定のお守りを買った。

 当時、記者は巨人キャップ1年目。チームはオフにラミレス、クルーンら大型補強に成功しながら、8月8日の時点では首位・阪神と8ゲーム差の2位だった。最大13ゲーム差だったとはいえ、逆転優勝は厳しい状況。富士登山から数日後に東京ドームで原監督に「日本一高い富士山でチームの日本一を祈願してきました」と言ってお守りを渡した。歴史好きで神社仏閣やパワースポットにも畏敬の念が強い原監督は「ありがとう。俺もいつか富士山に登りたいんだよ」と喜んでくれたが、心の中で「さすがに日本一は言い過ぎたかな…」と少しだけ後悔した。

 その後、チームは9月に12連勝を飾るなど阪神を抜き去ってリーグ連覇を達成し、前年に中日に敗れたCSも突破。日本一は西武に譲ったが、球史に残るシーズンだった。快進撃の最中、記者が当然のごとく抱いたのは「まさかお守りの効果では?」という思い。一方で「思いつきで買ったものだし、偶然だろう」と否定する自分もいた。いずれにせよ周囲に話せば「お守りの効果(あるとすれば)」がなくなると思い、口外しなかった。

 同年オフ、優勝旅行で滞在していたハワイのゴルフ場で原監督から「ちょっといい?」と手招きされた。ただならぬ気配に緊張して近付くと「あのお守り、すごいね。来年も登るんだろ?」と言われた。高山病がトラウマで「二度と富士山に登らない」と心に決めていたが、反射的に「もちろん、そのつもりです」と返していた。翌09年も8月8日に富士登山を敢行。「これは原監督の特命だ」と自らを奮い立たせ、富士山頂でお守りを買った。同年はリーグ3連覇と日本一を達成。まことに勝手ながら少しだけ貢献したつもりでいる。

 原監督が都内で退任会見を行った19日、そんな思い出がよみがえった。担当を外れた11年以降も夏が近付くと「今年は登るの?」と聞かれる。今季途中に「いつか一緒に登りませんか?」と打診すると「そうだね。でも監督をやっている限りはシーズンがあるから無理だな」と返された。ユニホームを脱いでも多忙な日々は続くだろうが、原さんと一緒なら喜んで「3度目」に挑戦したい。(山田 忠範)

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2015年10月23日のニュース