巨人の貴重なサイド右腕がやっとたどり着いた晴れ舞台

[ 2015年10月10日 10:00 ]

巨人の田原

 やっと、あの空間に立てる。10日開幕のクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ。巨人・田原はその瞬間を待ちわびてきた。

 「日本シリーズを含めて、一度もポストシーズンのマウンドに立ったことがないんです。メンバー入りできたことすらなかったので。テレビで見ていても独特の緊張感が伝わってきました。すごく楽しみですね」

 1年目の12年に32試合に登板。貴重な横手投げの中継ぎとして2勝0敗、防御率3・26の数字を残した。8月9日の阪神戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げると、翌日にも白星が付いた。「たまたまです。使っていただいた監督やコーチ、チームメートに感謝したいです」。新人では城之内邦雄以来、50年ぶりの2日連続勝利を成し遂げ、ファンの記憶にも名を刻んだ。

 だが、シーズン終盤戦を迎えると、経験したことのなかった疲労感に襲われた。社会人時代と違い、年間を通して試合は続く。結果的にマウンドに立たなかった日でも、ブルペンでは最善の準備を敷く。「体がしんどい時期もありましたね」。加えて、プロの重圧。2軍落ちすると、そこから再び声がかかることなく1年目を終えた。

 翌年は腰痛でわずか7試合の登板。昨季は20試合に登板したが、夏場に1軍を外れ、ポストシーズンのメンバーに残るほどの働きはできなかった。今季は中盤戦まで2軍生活が続いたが、夏場に昇格すると、18試合で1勝0敗、防御率1・00の好成績。結果を出し続けたことで、寄せられる信頼も増した。拮抗した場面での起用も目立ってきた。

 「これまではシーズンの最初の方に(1軍に)いたんですけど、だんだんとこうなってしまった」と胸の前で下降線を描いた。「でも今年はこうなので」と今度は上昇カーブを描く。「もちろん1年間、ずっと上(1軍)で投げられるのが一番ですね」と苦笑いした。

 11年ドラフト7位で入団。聖心ウルスラ学園(宮崎)2年時に投手に転向し、甲子園出場もない。全国的にはまったく無名の選手だった。「僕みたいな選手が頑張れば、同じような境遇の人たちが何かを感じてくれるかもしれませんから」。野球エリートとは無縁の男。ポストシーズンでの投げっぷりに注目したい。(川手 達矢)

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2015年10月10日のニュース