「星稜と巨人」松井秀喜の系譜を次ぐ高木京、感無量の凱旋登板

[ 2015年9月12日 10:00 ]

<巨・ヤ>1回を無安打無失点の高木京

 聞いたことのない大歓声と拍手に鳥肌が立ったという。2日のヤクルト戦(金沢)。2点リードを許したまま迎えた9回だった。「ピッチャー・高木京介」のコールに、地元ファンは温かく呼応した。スタンドには両親や親戚、友人ら約30人の応援団の姿もあった。

 「あんな大歓声は初めてでした。とにかくうれしかった。地元に帰って来たんだな、と実感することができました」

 1回を無安打無失点。試合には敗れたが、普段の敗戦時には感じることのない充実と高揚感に包まれた。巨人でも大先輩にあたる松井秀喜氏(41)と同じ石川県能美市出身。高校も星稜高だ。3年夏の決勝以来となるマウンドに、この日は「GIANTS」と書かれたユニホームで立った。「高校時代の思い出が詰まったマウンドでしたので、不思議な感じでした」と照れ笑いを浮かべた。

 松井氏との出会いは、小学校時代。年末年始に帰郷した松井氏が地元で開いていたイベントに参加。目の前で打撃を披露する機会に恵まれ「君はすごい打撃だね。ぜひ、星稜高校に来てくれよ」と冗談交じりに声をかけられた。「体が大きくて、その印象が強く残っています」。高校進学時は県外の名門校からも誘いを受けた。「やっぱり地元でプレーがしたい」と星稜高の門を叩いた。

 当時の山下智茂監督からは松井氏の逸話をたくさん聞かされた。「松井さん用に外野に特注のネットを作ったのに、それを越えて場外弾を打つから、民家の瓦を壊してしまったらしいです」。松井氏も汗を流したグラウンドで努力を積み重ね、自宅に戻れば当時メジャーでプレーしていた大先輩の姿に見入った。エースでありながら、当時は左の強打者としても注目され「ゴジラ2世」とも称された。そして国学院大を経て、11年のドラフト4位で入団した。

 「星稜高と巨人」。切っても切り離せないキーワードから、入団時は松井氏の話題を振られることが多かった。その度に「スーパースターすぎて、かけ離れた存在。先輩ですけど、先輩という感じはないです」と繰り返してきた。プロ入り後の対面は、13年に東京ドームで行われた長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(79)と松井氏の国民栄誉賞授与式。控え室に挨拶にいった。「自分のことを知っていてくれて、うれしかったです」と子供のようにはしゃいでいた。

 2日の試合前練習は雨によるグラウンドコンディション不良により、球場ではなく母校のグラウンドで行われた。そこには恩師の姿もあり「山下監督にもお会いできて良かった」。試合も観戦した恩師には、恩返しの凱旋登板を届けられた。

 座右の銘は「一日一生」。「一日、一日が大切だ」と山下監督に教わった。逆転でのリーグ4連覇を目指すシーズンも残り16試合。勝利の方程式を担う山口、マシソンが精彩を欠くなど、リリーフ陣も踏ん張りどころだ。高木京はモットーを胸に日々の与えられた役割にまい進する。(川手 達矢)

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2015年9月12日のニュース