斎藤隆のプロ人生 遊びから始まった投手で日米合わせて24年

[ 2015年9月1日 11:37 ]

今季限りで現役引退する楽天・斎藤隆

 8月16日、楽天・斎藤隆が今シーズン限りでの現役引退を表明した。今年で45歳となったベテラン右腕は、今季は4月に登板した2試合のみ。プロ24年間で残した数字は、日米通算で112勝96敗139セーブ。横浜、アメリカ、そして生まれ育った地元・仙台と渡り歩いた斎藤隆のプロ野球人生を改めて振り返ってみたい。

◎1998年の日本一に大きく貢献

 日米を股にかけて活躍した投手なだけに、高校時代からエースとして活躍していたと思われがちだが、東北高では一塁手で、東北福祉大時代に投手へ転向した。そのきっかけも、遊びで投げたらいい反応だった、というから人生どうなるかわからない。長身を生かした投球で注目を集め、1991年のドラフト会議で大洋と中日が1位で指名。抽選の結果、大洋が交渉権を獲得し、入団に至った。この年、東北福祉大からは斎藤だけでなく、金本知憲が広島、浜名千広、作山和英がダイエー、伊藤博康が巨人に入団と、5人のプロ野球選手が誕生している。

 斎藤は入団2年目から先発ローテーションに入り、先発の一角として頭角を現していく。プロ5年目の1996年には10勝を挙げ、プロ入り初の2ケタ勝利をマーク。206奪三振で、最多奪三振のタイトルも獲得し、飛躍の年となった。しかし、翌1997年はヒジの故障のため、プロ入り初めて登板なしに終わった。

 そして1998年、横浜は38年ぶりのリーグ優勝を果たし、斎藤も13勝5敗1セーブと復活を果たす。西武との日本シリーズでも第2戦に先発し完封勝利。第5戦では打線の大量援護に助けられ、2連勝を遂げて、優秀選手賞に選ばれた。続く1999年はキャリアハイとなる14勝と、横浜には絶対に欠かせない投手となった。

 転機となったのは2001年、高校・大学の先輩である佐々木主浩のメジャーリーグ移籍以降、不在となっていたクローザーに転向。この年は27セーブ、翌2002年も20セーブと結果を残した。この経験が後のメジャーでの活躍につながっていった。2003年からは再び先発に戻ったものの、数字としては低迷。メジャー挑戦をするならラストチャンスだと感じた2005年オフに、家族と球団を説得し、自由契約となる。

◎ドジャースで抑えの切り札に

 36歳という年齢もあり、なかなか契約まではいたらない中、ドジャースとマイナー契約を交わした。開幕直後に正クローザーのエリック・ガニエが戦線離脱したため、メジャーに昇格。4月は主にセットアッパーでの登板だったが、5月に入るとクローザーを任され、チームの信頼を勝ち取っていく。メジャー1年目は6勝2敗24セーブの好成績を挙げ、高齢でのメジャー挑戦を不安視する当初の予想を払拭した。

 翌2007年は開幕当初からクローザーで活躍。オールスターゲームにも監督推薦で選ばれ、成績も39セーブと前年を上回り、ストレートは159キロを計測するなど、心身ともに充実した1年だったといえる。オフにはドジャースとの再契約を勝ち取った。

 2008年は右ヒジの故障もあって18セーブに終わる。翌2009年にはレッドソックスへ移籍し、岡島秀樹(現DeNA)とともに、主にセットアッパー役を担った。また、この年には日米通算100勝100セーブという、節目の記録を達成している。

 その後はブレーブス、ブルワーズと毎年ユニフォームが変わることになるが、常に自分の役割を果たし、チームに貢献していった。2011年のブルワーズ時代には、チームの29年ぶりの地区優勝を果たした。プレーオフでは6試合に登板し無失点と40歳を超えても健在ぶりをアピールした。そして、2012年のダイヤモンドバックスを最後に、メジャーでのプレーすることを終え、日本に戻ることを決断する。メジャー7年間の成績は338試合に登板、21勝15敗84セーブという結果だった。

◎そして地元・仙台へ

 複数のNPBのチームからオファーがあったなかで選んだのは、地元・仙台がホームの楽天だった。「東北から日本球界を変えていきましょう!」と立花陽三球団社長直々の交渉もあったという。

 8年ぶりの日本球界復帰となった2013年、5月6日のオリックス戦で初登板。勝利投手となり日本球界では2768日ぶりの白星を挙げた。以降、主にセットアッパーとして、そして若い投手陣の良きアドバイザー役としてチームに貢献。シーズン途中にはクローザーを任されるなど3勝0敗4セーブの成績を残し、楽天は初のリーグ優勝、日本一に輝いた。昨年7月11日のロッテ戦では、44歳4カ月と日本球界最年長セーブを記録していた。

 引退会見では「本当に幸せな野球人生を送ることができた」と振り返った斎藤。地元・コボスタ宮城での引退試合も今後は予想されるだろう。(『週刊野球太郎』編集部)

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