木田優夫画伯が明かす「メークドラマ」は僕から始まって僕で終わった

[ 2015年8月18日 12:00 ]

「メークドラマ」の真実…僕から始まって、僕で終わった

 日本ハム・木田優夫GM補佐(46)による今回の「木田画伯の球界絵日記」は札幌円山球場の思い出について。日本ハム2軍と北海道社会人・大学生選抜との交流戦を視察しながら、1996年に巨人が同球場での広島戦から始まったとされる「メークドラマ」の真実を暴露しちゃいます。

 先週末からファームが北海道に来ました。15、16日は稚内、円山球場でベイスターズと2連戦を行い、17日は北海道社会人・大学選抜と交流戦を円山球場で行いました。この交流戦は北海道の野球界の発展のために、大切な試合だったと思います。これからも、こういった機会を増やして、少しでも貢献していければいいなと思います。

 ところで、円山球場にはたくさんの思い出があります。ここでの僕の初登板は、実は35年前の小学6年生のときでした。北大エルムパンサーズ(現・北九条パンサーズ)の一員で、札幌市の大会で先発しました。結果は、僕の暴投でサヨナラ負けでしたが、プロ野球が使う球場で投げられたことに感動しました。そこからプロ野球選手になって、毎年のように北海道遠征で来ていましたが、毎年2、3試合の開催で実際の登板数は多くありません。それでも勝利投手に2度なったことがあります。

 円山球場で行われたジャイアンツの試合といえば、吉村さんのケガを思い出す人も多いかもしれませんが、96年に長嶋監督が「メークドラマ」と言って最大11・5ゲーム差をひっくり返して優勝した年も、円山球場での9連打の猛攻がきっかけになったと言われています。

 しかし、実はその前の試合で勝ち投手になっているのが僕です。そこから連勝が始まり、しかも、誰も覚えていませんが「メークドラマ」を完結させた名古屋の試合の勝ち投手も僕でした。なので、誰も言ってくれませんが、「メークドラマ」は僕から始まって、僕で終わりました。本当に誰も気にしていませんが…。(日本ハムGM補佐)

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2015年8月18日のニュース