あの夏、日本ハム・栗山監督が横浜戦後にブン殴られた理由とは

[ 2015年8月18日 08:35 ]

日本ハム・栗山監督

 熱戦を繰り広げてきた今夏の甲子園も、残すは準決勝、決勝。この季節はプロ野球関係者も、球児の熱闘に我が青春を顧み、心躍らせる。日本ハム・栗山監督もその一人だ。

 創価高(西東京)で1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースとして活躍した同監督だが、甲子園出場は叶わなかった。そんな栗山少年には忘れられない“痛み”がある。ときは1978年、高2の8月下旬。今夏限りで勇退した高校球界の名将、渡辺元智氏率いる横浜高(神奈川)と練習試合を行った。横浜高はすでに「日本一厳しい練習」で73年にセンバツ初出場初優勝。チームも、そして30歳を超えた渡辺監督も脂の乗り切った時期だった。

 「横浜高は強かったから楽しそうにやってる感じがあった。野球観が選手1人1人の遺伝子に組み込まれている印象だった」。先発した栗山少年は横浜打線につかまり、めった打ちにされたという。しかし、心とは裏腹に悔しそうな表情を浮かべなかった。前年夏の甲子園で1年生エースとして「バンビ」の愛称で人気を博し、準優勝したのが東邦(愛知)の坂本佳一。さわやかな笑顔が何より印象的だった。栗山少年にとっても同学年の坂本の活躍は鮮烈で、「バンビとか笑顔でやっていたからね。そういう時代なんだなと思って、あの時も、あんまり悔しがってもいけないと思って、マウンドで笑ってたんだ」―。

 練習試合を終えて、自らの学校に戻ってから“お灸”が待ち受けていた。「負けて、何笑ってんだよっ」。当時の監督からブン殴られた。スローモーションのように体が宙に浮いて、部室の扉まで吹っ飛んだ記憶が残る。17歳の一コマである。

 あの夏から37年が経った。スポーツキャスター時代には渡辺氏を何度も取材した。「野球って、どれだけ追い求めても尽きることのない難しいもの。元さん(渡辺氏)に近付けるように努力するしかない」。指揮官としてそう心に言い聞かせている。(東山 貴実)

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2015年8月18日のニュース