96年夏「奇跡のバックホーム」明暗を分けた2人の現在

[ 2015年7月8日 12:00 ]

96年夏決勝、延長10回、本多の右飛で三塁走者・星子が本塁突入も松山商・矢野の好返球でタッチアウト(捕手・石丸)

 頂点を決める一戦では、数多くの劇的な展開が演じられてきた甲子園。「奇跡のバックホーム」と称される1996年の第78回全国高校野球選手権大会決勝、松山商(愛媛)―熊本工戦は最たる例だろう。同点の延長10回1死満塁、右飛を捕球した松山商の矢野勝嗣外野手(当時3年)が本塁生還を狙った熊本工の三塁走者・星子崇三塁手(同3年)を刺した。わずかの差で栄光を逃した「三塁走者」の心境とその後に迫った。(取材・吉仲 博幸)

 ある日の午後9時すぎ。熊本市内にある店内のテレビには10回裏の攻防が映し出されていた。

 「ああ、星子~、何としとるか~」

 「ああ(人生の)汚点じゃあ~」

 酔客から容赦ない言葉を浴びながらカウンターにいる男は笑顔で店を切り盛りしていた。

 1996年夏、8月21日。薄曇りの中で始まった決勝戦は最大の局面を迎えていた。熊本工は1点を追う9回2死無走者から、1年生の沢村幸明が左翼へ起死回生の同点弾を放ち松山商の2年生右腕・新田浩貴はマウンド上で崩れ落ちた。異様な熱気を残す聖地は、さらなるドラマを用意していた。延長10回1死満塁。初球をとらえた熊本工・本多大介の打球は右翼へ高く高く舞い上がった。右翼手・矢野のグラブに白球が収まると、三塁走者の星子は迷うことなく本塁へ走った―。

 当時、甲子園上空は強い風が舞っていた。10回、先頭打者の星子はこの日、3安打目となる二塁打で出塁し続く園村淳一の犠打で三進。次打者に田中久幸監督はスクイズのサインを出していたが2者が敬遠され満塁に。ここで松山商は右翼を矢野に代えた。出塁してから時間が経過しており、星子には甲子園の風を分析する冷静さがあった。

 「塁に出てからずっと風を意識していました。当時、ものすごく風が吹いていたので、仮に飛球がライトへ上がったら押し戻されるな、と考えていました。ダイレクトで返球が来るだろうから、球は伸びてくると思っていました」

 予想通り、右翼への飛球はかなり風に押し戻され矢野のグラブに収まる。星子はスタートを切った。「返球は必ず伸びてくる。走るコースは最短距離の真っすぐしかない」―。次打者の西本洋介は両手を挙げて万歳している。一塁ベンチからは一斉に選手も飛び出した。誰もが熊本工のサヨナラ勝ちだと思った―。

 星子は卒業後、社会人野球の松下電器(現パナソニック)へ進んだが、わずか2年半で退社した。「ケガもありましたが、小さい頃からトップレベルでやってきたので、野球から離れたいと思ったんです」。良きにつけ、悪しきにつけ「タッチアップでアウトになった人」という肩書はついて回る。故郷に戻ると、高級クラブのボーイとして2年間働いた。その後は持ち前のバイタリティーで複数の飲食店などを経営した。

 仕事に追われる中、2013年の年末に“転機”が訪れた。当時経営していた飲食店に知人とともに矢野がやって来たのだ。矢野は松山大を経て愛媛朝日テレビに入社していた。17年ぶりの再会。「矢野は僕と違って、求められる方でいろいろと期待され、プレッシャーに感じることもあったようです。同じ境遇にいるんだなと感じました」。2人は記憶をなくすほど酒を飲んだ。酔いながら星子は矢野の右肩を何度も何度も叩いた。「野球に関するお店を出そうと思うんだ。その時は松山商のユニホームを貸してくれよな」。星子は矢野にそう伝えた。

 14年5月22日、熊本市内に店をオープンした。店の名前はすんなり決まった。母・順子(よりこ)さんは言った。「タッチアップでいいんじゃない? あなた、タッチアップの人でしょ」。店名は、ひらがなで『たっちあっぷ』とした。「熊本でこの名前は僕と連想できるし、インパクトもある。野球の話でみんなが仲良くなれるし、つながっていく。あれで自分の存在を分かってもらえるんですから」。皮肉にも決勝戦翌日の8月22日は18回目の誕生日だった。96年夏の苦い記憶に対し18年の時を経て、ようやく正面から向き合えた気がした。

 今年6月5日、矢野が『たっちあっぷ』に初来店した。熊本工と松山商のユニホームは仲良く隣同士で並んでいる。「奇跡的な矢野の返球は自分の目の前を通過し、右頬にタッチされました。(本塁へ)回り込めば、どうだったのか…。でも、セーフだったら、ただの優勝メンバーだし、この店もやっていないでしょう。当事者で良かったと、今はそう思えます」。オープンから約1年2カ月。当時の映像を「軽く1000回以上は見ていますね」。星子は屈託なく笑った。=敬称略=

 ▼VTR 松山商は初回1死から星加、今井の連打で一、二塁とし4番渡辺の右翼線二塁打で1点先制。2死満塁から連続押し出し四球で計3点を先取。熊本工は2回2死一、二塁から境の中前適時打で1点を返し8回には坂田の中犠飛で1点差。9回は2者連続三振の後、沢村が初球を左翼ポール際に同点弾を放った。延長10回1死満塁のピンチをしのいだ松山商は11回、矢野の二塁打から1死一、三塁とし星加のスクイズ(記録は一塁内野安打)で勝ち越し今井の2点二塁打で加点。27年ぶり5度目の優勝を飾った。熊本工は県勢初となる優勝を逃した。

続きを表示

この記事のフォト

2015年7月8日のニュース