阿部「ヒーローと言っていい?」5年目初劇打はスクイズ失敗直後

[ 2015年7月6日 05:30 ]

<楽・日>9回2死二、三塁、阿部(右から3人目)がサヨナラ打を放ち、ナインの手荒い祝福を受ける

パ・リーグ 楽天3-2日本ハム

(7月5日 コボスタ宮城)
 巨漢の大久保監督がベンチからダッシュしてくる。73キロの楽天・阿部は覆いかぶさるように抱きつかれた。指揮官自ら歓喜の輪に加わる異例のサヨナラ劇。プロ5年目で初のサヨナラ打はチームの連敗を8で止め、初のお立ち台にも上がった。

 「スクイズを失敗しているのでヒーローと言っていいんでしょうか。スクイズを失敗した時にもの凄い厳しい声援が飛んでいたので、これはヤバイと思った」。阿部はそう本音を漏らし、本拠地のファンを沸かせた。

 2―2の9回1死満塁。初球にスクイズのサインが出たが、高めのフォークを空振りし、三塁走者はアウトになった。「何でフォークだよ、勘弁してくれ」とつぶやいた。大きく深呼吸した。2死二、三塁。1ボール1ストライクから4球続いた直球を全てファウルし、ボール球のフォークも見極めた。「変化球を頭に入れて、直球にもついていけた」。8球目の直球を中前へ運んだ。「バットを拳1つ分短く持った」ことで、鍵谷の148キロに対応できた。

 阿部は今年3月7日のオープン戦・中日戦(倉敷)が雨天中止となり、大久保監督のユニホームを着用してパフォーマンスを行った。指揮官が巨人時代の94年日本シリーズ第4戦で、代打同点本塁打を放ったものまねだった。「監督に何かやれと言われて…。数回映像で見て後は勢いでやりました」。ダーツはチーム一の腕前で、最近はビリヤードにもはまる。マイダーツ、マイキューを持つなど本気でのめり込んでしまう。そんな陽気な26歳がチームを救った。

 大久保監督が並べたスタメン野手は平均33・4歳。ベテランを先発させて、代走や代打を惜しみなく送った。阿部も8回に代走で、9回が初打席だった。「(2軍監督時代にも)阿部のスクイズの空振りを2度見た。でも、みんな諦めなかった。出来の悪い監督についてきてくれ、選手のおかげで最高の気分」。野球の父と慕う故根本陸夫氏から教わった。「信じ続けなきゃ人は育たない。失敗は責めることはしない」。指揮官の信念が、阿部の「仕切り直しの一打」を生んだ。 (倉橋 憲史)

 ◆阿部 俊人(あべ・としひと)1988年(昭63)12月23日、宮城県生まれの26歳。埼玉・花咲徳栄では1年秋からベンチ入りも、甲子園出場なし。東北福祉大では1年春からレギュラーを務め、3年時には日本代表も経験。4年時は主将として、秋季リーグでMVPに輝いた。10年ドラフト3位で楽天に入団。先輩に気に入られやすく、愛称は「スネ夫」。1メートル80、73キロ。右投げ左打ち。

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