元ロッテファン作った野球チーム 熱過ぎる応援で全国大会間近まで成長

[ 2015年7月6日 11:15 ]

声援を送る「TOKYO METS」のサポーター

 7月4日、栃木・足利市総合運動場でひっそりと不思議なゲームが繰り広げられた。全日本クラブ選手権大会・関東予選。コアな野球ファンでも注目度の低いこの大会で、異色のチーム同士が戦っていた。かたや、プロ野球の元・応援団がつくったチーム。かたや、「松井秀喜を5敬遠した男」が率いるチーム。それぞれのチームで奮闘する人々をレポートする。第一回は「TOKYO METS」編。

「ララララ~トウキョウメッツ! ララララ~トウキョウメッツ! どんなことがあっても、俺たちのチームだから、歌い続ける、ララララ~トウキョウメッツ!」

 一塁側スタンドからこだまする大合唱。球場近くを通りかかった人なら、「高校野球でもやっているのかな」と思ったかもしれない。しかし、これは高校野球ではなく、社会人野球・クラブチームの公式戦だった。

 通常、クラブチームの試合中のスタンドには、「関係者」しかいない。選手、選手の家族、大会関係者が数十人いるだけで、「ファン」と呼べる人は片手で数えるほどだろう。そんなスタンド風景が当たり前のなかで、異彩を放っているチームがTOKYO METSだ。

 おそろいのTシャツ、ベースボールキャップを身につけた約50人のサポーターがフラッグを振り回しながら声を張り上げ、手拍子を打ち鳴らし、指笛を響かせる。彼らが陣取る一塁側スタンドの一角以外は空席ばかりが目立つため、よけいに異様な光景に映る。

「いつもは鳴り物(トランペット)も使うんですけど、今日は使用禁止のお達しがあったので、声と手拍子だけでした」(サポーターの藤田隼さん)

 近年、プロ野球応援のパイオニアと言われているのがロッテサポーターだ。彼らは声と手拍子を中心にした応援スタイルを確立させ、2005年には応援で日本一に貢献。他球団の応援にも影響を与えたが、一部熱狂的なファンが球団フロントと対立。2010年以降、その集団は応援から手を引くことになった。その後、集団の中心人物である安住和洋さんが「ファンの声が届く自分たちのチームをつくろう」と呼びかけて、TOKYO METSが誕生したのだった。

「僕らはボビー(元監督のバレンタイン氏)を支持していました。彼は徹底して、ファンのために野球をやっていた。そのボビーを2度もクビにした球団に嫌気がさして、自分たちのチームをつくったんです。でもチームといっても、最初は児玉くん(貴文)という、駒澤大で4番を打っていた選手1人だけでした。児玉くん1人の練習をみんなでサポートしていたんです(笑)」(安住さん)

 TOKYO METSサポーターは、ただ試合中の応援をするだけではない。練習も手伝うし、練習場所も確保する。運営面まで文字通りサポートするのだ。選手の数は次第に増えていったが、初期は練習試合に1対26で負けるようなレベルだった。監督にプロ野球の二軍監督経験が豊富な「ハイディ」こと古賀英彦氏を招聘したものの、「なんやこのチームは!」と古賀監督を愕然とさせるありさまだったという。

 安住さん自身「勝てるまで何年かかるんだ?」と不安を覚えたほどの船出に、チームを離れるサポーターもいたという。それでも残ったサポーターたちの努力の甲斐あって、結成4年目の昨季、東京都クラブ春季大会で初優勝を遂げた。決して戦力が充実しているわけではない。安住さんは他チームの関係者から「METSの得点の半分は、サポーターで取っているよね」と言われたそうだ。

「プレーの熱さとスタンドの応援が融合して、『沸点に達したな』と思った瞬間が何度かありました。そういうシーンをまた経験できたのは、うれしかったですね」(安住さん)

 当初はレベルの低さに愕然としていた古賀監督だが、今や誰よりも熱く選手を指導している。しかも、ほとんどボランティアにもかかわらずだ。

「みんな野球が好きで真面目だし、成長する姿を見るのは楽しいよ。本当なら老後でリタイヤしている時期(75歳)にこうして若い連中を教えられるんだから、オレはラッキーよ」(古賀監督)

 そしてTOKYO METSの中枢には、もう一人変わり種がいる。チームの部長を務める藤田憲右部長だ。本業はお笑い芸人「トータルテンボス」の突っ込み担当。当初は選手として入団したが、現在は忙しい本業の合間を縫って、部長としてチームを支えている。

「『東京で一番カッコイイチームにしたい』というモットーが面白くて、自分でトライアウトに応募しました。今、高校や大学を終えて硬式野球をやる受け皿が非常に少なくなってきているので、もう少し続けたら上のキャリアでもやれる可能性のある子たちのステップアップの場にもなってほしいなぁと思っています」(藤田部長)

 全日本クラブ選手権・関東予選は栃木まで多くのサポーターが集まったが、試合終盤に突き放され、0対4で敗退。初の全国切符まで「あと2勝」届かなかった。安住さんは「ウチはまだまだ力が足りない」と次を見据えている。

「まずは、目指せ大田スタジアム。つまり、企業チームと戦える場に立ちたいです。その先に全日本クラブ選手権や都市対抗が待っていると思うので」

 サポーター主導でチームを運営するという、新たな形態を模索するTOKYO METS。近い将来、彼らの歌声が西武ドームや東京ドームでこだまする日が来るのかもしれない。

 ◆文=菊地選手(きくちせんしゅ) 1982年生まれ、東京都出身。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。プレーヤー視点からの取材をモットーとする。著書に『野球部あるある』シリーズがある。

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2015年7月6日のニュース