森脇監督涙の休養 大補強も低迷「手遅れになるのが一番良くない」

[ 2015年6月3日 05:30 ]

森脇監督(左)は目にうっすらと涙を浮かべながら会見する。右は瀬戸山球団本部長

 パ・リーグの最下位に低迷するオリックスは2日、成績不振を理由に森脇浩司監督(54)の休養を発表。森脇監督は都内のホテルで会見し、無念さをにじませた。今季は19年ぶりのリーグ優勝を目指し、大型補強を敢行したが、ケガ人が続出。5月31日の広島戦(京セラドーム)に敗れた時点で、自力優勝の可能性が消滅した。福良淳一ヘッドコーチ(54)が監督代行として同日の巨人戦(東京ドーム)から指揮を執ったが、初戦を勝利で飾ることはできなかった。

 グレーのスーツ姿で記者会見に臨んだ森脇監督は時折、目を潤ませながら胸中を語った。「手遅れになるのが一番良くない。私が身を引くことが一番いい方法だと」。瀬戸山隆三球団本部長に「休養」を申し出たのはこの日朝。球団は慰留したが、「監督の決意が固い」(同本部長)として宮内義彦オーナーに報告した上で了承した。

 森脇監督は12年シーズン途中に解任された岡田監督の代行監督して指揮を執り、13年から監督に就任。昨季はリーグトップの80勝を挙げ、2位に躍進させた。オフには大型補強に成功。96年以来のリーグ優勝へ期待は高かったが、開幕から波に乗れず最下位に低迷し、5月31日には19勝34敗1分けとなり、自力優勝の可能性が消滅していた。

 最大の誤算は主力の故障。中島、ブランコ、小谷野、バリントンの新加入4選手は相次いで離脱し、現在も1軍にはいない。FA残留したエース金子も手術した右肘の経過が芳しくなく、開幕から大きく出遅れた。森脇監督は「申し分ない十分な戦力を与えていただきながら、私の力不足」と唇をかんだ。2年契約の1年目であったが、現状を打破するために自ら責任を取る形で身を引いた。

 会見後、チーム宿舎で最後のミーティングを開いた。直前には何人かの主力選手と個別に会話を交わし、時に号泣して「一人前に育てられなくて申し訳ない」と別れの言葉を語りかけたという。

 残り試合は福良ヘッドが指揮を執る。来季監督は未定。球団内では「来年優勝を狙うなら、チーム事情を理解している内部昇格の方が適任」との意見があり、その場合、福良監督代行の昇格が有力だ。また外部招へいならば、前日本ハム監督の梨田昌孝氏(61)、前ロッテ監督の西村徳文氏(55)らの名前も挙がっている。

 ▼オリックス・瀬戸山隆三球団本部長 突然でびっくりした。大変苦しい中、精いっぱい指揮を執っていただいた。監督自身が申し出たのは相当の思いだと思うので受理した。

 ▼オリックス・金子 何と言っていいか分からない。結果を出せなかった選手の責任だし、僕も開幕からそこにいたかった。ただ、これから先もあるし、応援してくれるファンのためにも、最後までやり切るのがプロだと思う。

 ▼オリックス・糸井(森脇監督の休養について)主将として責任を感じる。自分のせい、ちゃいますか。

 ▼日本ハム・栗山監督 本当に無念だったんだろうなと痛いほど感じている。みんな必死になって、覚悟してやっている。

 ▼ソフトバンク・工藤監督(ニュースを)見ました。難しいですね。そういうのを聞くと厳しい世界だなと思う。

 ▼楽天・大久保監督 自分たちがとやかく言えることではない。会社の判断もあるだろうし、自分たちで決められることでもないから。

 ◆森脇 浩司(もりわき・ひろし)1960年(昭35)8月6日、兵庫県生まれの54歳。社高から78年ドラフト2位で近鉄入団。広島、南海、ダイエーを経て、96年に現役引退。通算成績は843試合、244安打、打率.223、14本塁打、75打点。97~09年にダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督、11年に巨人2軍コーチを歴任し、12年にオリックスのチーフ兼内野守備走塁コーチに就任した。同年9月の岡田監督の解任に伴い監督代行を務め、13年から昇格。1メートル78、78キロ。右投げ右打ち。

 ◆福良 淳一(ふくら・じゅんいち)1960年(昭35)6月28日、宮崎県生まれの54歳。延岡工―大分鉄道管理局を経て、84年ドラフト6位で阪急(現オリックス)入団。93~94年に連続守備機会無失策836の二塁手のプロ野球記録を樹立。97年に現役引退。通算成績は1240試合、1116安打、打率・279、50本塁打、372打点。オリックス2軍コーチ、日本ハムで2軍監督、1軍ヘッドコーチなどを歴任。13年にオリックス1軍ヘッドコーチに就任した。1メートル77、73キロ。右投げ右打ち。

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