Gドラ3高木勇涙のプロ1勝 球団55年ぶり新人開幕カード先発白星

[ 2015年3月30日 05:30 ]

<巨・D>プロ初登板初先発初勝利の高木勇はお立ち台で感極まる

セ・リーグ 巨人11-3DeNA

(3月29日 東京D)
 こみ上げる涙をこらえ切れなかった。巨人のドラフト3位ルーキー・高木勇の試合後のお立ち台。大歓声を浴び「いやあ、こんなに気持ちいいと思わなかったです」とはにかんだ直後だ。

 「やっと…。今まで頑張ってきて良かったです」。声を絞り出すと左腕で目頭を押さえた。「人前で絶対に泣かない」ことがポリシーだが、これまでの苦労が脳裏を駆け巡った。

 初登板で持ち味を存分に出した。3回、1点差に迫られ、なお1死一、三塁。「自分を信じて気持ちを込めた」。ロペス、バルディリスの懐に強気に直球を投じ、凡打に仕留めた。原監督が「高木ボール」と名付けたカットボール、フォークなど全球種を織り交ぜ6回6安打2失点。時には相川のリードに首を振り「野性味」あふれる投球だった。5回2死二塁では三遊間を破る初安打もマークした。

 オープン戦は4試合に登板し、防御率2・70。3月17日。読売激励会前の控室で首脳陣が座る円卓に呼ばれ、原監督から「3戦目を頼んだぞ」と告げられた。胸が高鳴った。「早く投げたい」。超満員の東京ドームで球団の新人では55年ぶりとなる開幕カードでの先発勝利を飾った。

 誰よりも応援してくれた母・百代さん(48)に初勝利を届けたかった。海星高時代、母は働きながらも早朝から弁当を作り、午前5時台の始発電車に間に合うように車で駅まで送ってくれた。練習に打ち込み、終電で帰ると笑顔で迎えに来てくれた。あまりに多忙な日々を過ごす母が、陰で涙を流す姿を見たこともある。

 社会人7年目で念願のドラフト指名を受けると、真っ先に母に連絡した。「勇人が選んだ道なんだから頑張りなさい」と背中を押された。「母には本当に苦労をかけたので恩返ししたい。初勝利の球を渡すと決めているんです」。ロッカールームで、初勝利と初安打の記念球を握りしめた。「実家に送ります」。25歳の苦労人がこの日、一つの願いをかなえた。

 ▼巨人・原監督(高木勇について)不安と期待の中で粘り強く投げた。良い選手が入ってくれた、良いデビューをしたなという感じがします。

 ▼巨人・相川(移籍後初のスタメンマスク)僕はサインを出しただけ。(高木 勇と)2人で恐れるもの はないと話していた。気持ちでやってくれた。

 ≪60年堀本、青木以来≫ドラフト3位ルーキーの高木勇(巨)が初登板で初勝利。巨人新人の初登板 勝利は05年野間口以来12人目、ドラフト制以降5人目。うち、先発では10人目になるが、開幕3戦以内に挙げたのは60年の堀本、青木に次ぎ55年ぶり3人目だ。また、この日は、打っても5回に初安打。チームの新人が初登板初勝利の試合で初安打も放ったのは、42年の藤本以来73年ぶり4人目で、2リーグ制後は高木勇が初めて。

 ≪高木 勇人(たかぎ・はやと)≫

 ☆生まれ 1989年(平元)7月13日、三重県生まれの25歳。

 ☆球歴 小4から野球を始め、三重・海星ではエースも甲子園出場なし。三菱重工名古屋では補強選手を含め都市対抗に7度出場した。14年ドラフト3位で入団。

 ☆サイズ 1メートル78、88キロ。右投げ右打ち。

 ☆社会人時代 工場で米ボーイング社の旅客機787の主翼部品の検査を担当。数千個の部品をチェックし、集中力と忍耐力が磨かれた。

 ☆黒豆王子 社会人時代に佐伯功監督の勧めで黒豆を食べ続けて約25キロの増量に成功。春季キャンプにも持参し、ファンからもよくプレゼントされる。

 ☆日課 朝の散歩。代謝を良くするために約8年前から続けている。悪天候の日、登板日にも欠かさない。

 ☆座右の銘 塞翁(さいおう)が馬。空腹が最高のスパイス。

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