今明かされるソフトB日本一の裏側(上)限界だった看病との両立

[ 2015年1月21日 11:28 ]

14年10月14日に退任会見を行った秋山監督

 144試合目で3年ぶりのリーグ制覇を決めたソフトバンクを突然の激震が襲った。秋山幸二前監督(52)の電撃辞任。11年以来の日本一を目指す球団フロント、選手は動揺を隠せないでいた。ただ、一人だけ、冷静に前を向いていたのは誰あろう、指揮官だった。頂点に導くことが最後の使命と胸に刻み、選手たちを守った孤独な17日間の戦いを振り返った。

 10月13日の夜だった。秋山監督は福岡市内の自宅にいた。ふいの訪問者にインターホン越しにつぶやいた。「何でだよ…」。怒りを押し殺した声だ。日本ハムとのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージの開幕前日となる翌14日の紙面に「秋山辞任」の報道が出る。そう、知らされた。ただ、動揺したのはこの時だけだった。次の朝は腹を決めていた。

 スポニチ本紙スクープにより、明るみに出た「辞任」の決意。球団は当初、指揮官に報道を無視するよう、要請した。それもまた、一つの方法だったのかもしれない。だが、答えはNOだった。「選手は毎日このことを聞かれる。選手にウソをつかせることになる」。決戦への心的な影響を第一に考え、自らその身を白日の下にさらすと決めた。

 6年間で3度、パ・リーグ制覇した名将は、失速の最中だった9月26日の楽天戦(ヤフオクドーム)で勇退する星野監督へ花束を渡した際「おまえが辞めろ」とのやじを受けた。球団には爆破予告が届く。「(コーチ就任後)10年が区切りだった」と本心は最後まで明かさなかったが、最大の理解者だった笠井和彦前球団社長(享年76)も前年10月に死去。悩みを抱え込む一年だった。この頃、妻・千晶さんは会話さえままならなかった。11年オフに神経膠芽腫(こうがしゅ)に倒れ、手術ができる病院を探し、全国を飛び回った。WBC監督就任も断った。監督と看病の両立。52歳の心は限界に達していた。

 辞任発表は同時に後任人事の始まりだ。工藤新監督に白羽の矢を立てた球団は、作業を進める必要に迫られていた。辞任発表した翌15日に王貞治会長は都内で交渉し、内諾を得た。すぐ「工藤新監督就任」の報道が出た。まるでいたちごっこ。球団側はこれ以上、隠しきれないと決断を下した。

 10月16日。CSファイナルS第2戦の試合前、その決定は指揮官に伝わった。「工藤新監督を発表する」。めったに感情を出さない秋山監督の目は怒りで満ちていたという。球団は事態を沈静化するべく、最善策と判断する。「発表するならいますぐ、俺は球場から出て行く」。目の前にはシリーズ進出を争う戦いがある。球団と刺し違えても守りたいものがあった。発表は見送られた。

 ただ、選手たちには思いは伝わらない。なぜ、辞める…。選手会は混乱の中、報道陣の「辞任」に関する質問を受け付けないことを申し合わせた。自衛手段だ。CSファイナルSは突破したが、チームはもやもやを抱えたまま、阪神との日本シリーズを迎えようとしていた。

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2015年1月21日のニュース